天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

中国映画「茶館」

 久々に現代中国映画上映会に行く。月1回の上映会が久々になった理由は、自分の都合もさることながら、3.11の地震以来会場の手配がうまくいかなくて、延期が続いていた。実施時間は夜なので、基本的には電力使用のピークではなく関係ないはずだが、公共施設では夜間営業自粛という無意味な対応をするところが多かった。
 ともあれ映画の話。原作は老舎(1899-1968)という作家が新生中国となった1957に発表したもの。文化人である彼は、その後毛沢東文化大革命によってひどい目にあっている。自殺だか他殺だかわからない死に方をしているとのことだが、文革の犠牲者は本当にひどいことになっている。直接の加害者は洗脳され、分別も失った若者達であった。
 映画の話。この映画の時代背景は、清末から日中戦争勝利後、共産党が勢力を伸ばしている頃まで。原作者は非業の死を遂げたが、映画化は1982年。改革開放の時代になったので、このような話が映画化されたのだろう。
 舞台は北京の茶館。そこではその時々の庶民の暮らしぶりがよく分かる。娘を宦官に売らなくてはならない農民。子供を売り払おうと、茶館の客に土下座する母親。その二人に肉うどんをふるまう客。警察や役人は、難癖をつけてはわいろを取ろうとする。清末のそのような様子が、民国となり更に時代が進んでも基本的に変わっていない。そういうことが主題の物語だ。子の頃の中国映画にはハッピーエンドは少ない。庶民の実態がこのようなものであり、その原因を魯迅は「国民性にかかわる問題」としている。魯迅は「そのようなことではマズイでしょう」ということで、庶民が自らそのことに気づいて欲しいとの思いで「阿Q正伝」や「狂人日記」などを書いた。
 老舎のこの作品も全く同じ趣旨で書かれたものだ。その中にわずかに政治批判的な会話が含まれていたので、魯迅と違い文革の摘発対象となったのだろう。文化人というのも楽ではない。口だけの商売どころではない。ときには命も失う。それでも主張することが大切だ。場合によっては上手くやることも必要かもしれない。日本でもレッドパージということが行われた時代があり、転向を余儀なくされた社会主義者が多くいた。
 今の日本はそういう意味では幸いに何でも言える状況にある。しただし、体制に不都合なことはメディアが黙殺しがちということもある。出版社でもそう。却って小ぶりの出版社の方が主張があるようだ。
 来月の映画は、辛亥革命100周年にちなんでか孫文関係の映画二本立てだ。