天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

共生ということ

 共生の経済とかなんとか色々言われるが、これは本当は難しい話ではない。
 昨日、姪の赤ん坊を見る機会があったが、子供を産んだ姪はその感想を「子どもを産んでから、よその子も含めて子供がかわいくて仕方が無いと感じるようになった」と語っていた。更にキッパリこう言った。
「お金は払える人が払えばいい。それぞれができることをすればいい。時間がある人は赤ちゃんの面倒を見る。働く必要がある人は働きに行く。そうしてみんなでこの子を育てればいいの」とキッパリ。
 まさにこれが共生、共に生きるということそのもの。身近なところにそのようにキッパリ語りながら生きている人がいるのは嬉しい。血は繋がっていないが、親戚筋の若い母親の考えだ。ただ、これが同居の親に甘える言い訳ではないことを切に望む。
 ホントにこの発言が自分の家だけでなく、社会全体がこのようになることが共生だ。かつて、社会主義とか共産主義とかの国は、こういったことをお仕着せの制度として庶民に共生ならぬ強制をしようとした。まだ、ある意味未分化の状態の人たちにこれを押し付けてはいけない。
 その点イスラエルキブツは、自主的に参加する人たちでそのような社会を作ろうとした。しかし、一旦参加した人たちの間の掟は厳しいものがあったり、そもそもその土地は誰のものだったのか、という問題があった。
 言うは易く、行いは難し、ということか。これは制度だけでなく人々の気持ちが大切だ。人心だな。これを育てるのは教育だろう。教育は洗脳とは違う。共産党は洗脳で物事を解決しようとしたのではないだろうか。
 とにかく嬉しい姪の発言であった。そして自分もできることを身内だけのためでなく、何かしようという志は失わないようにしたいものだ。