天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

勉強する人、した人

 子供の頃、勉強をすると豊かになれる、と教えられていたような気がする。そのように思って、すなわち将来の自分のために勉強はしなくてはならない、と思っていた。というか洗脳されていたのだろう。洗脳と言うほど大げさなものではないが、世の中全体がそういう風潮だったのだ。
 そしてそれはある意味では事実だった。日本が学歴社会であり限り、学歴を身に着けるためには「勉強」が必要だったのだ。即ち、ここで言う勉強とは「学校の勉強」であり、「社会勉強」ではない。しかし、本当はこの両方の勉強が必要なのだ。学校の勉強だけ頑張った人は、学歴のエリートになり、学歴社会の中のエリートとなってゆく。エリートというのは責任ある仕事をする立場にある。そのエリートが社会勉強の不足状態にあると、正しい判断力がもてない。試験の点数や、理屈をこねる事には長けていても、世の中や組織を正しい方へ導く能力に欠如しているのだ。
 ところで、バランスよく勉強すると、皆金持ちになるか、社会的に成功するのかというと、そうではない。能力がありながら機会に恵まれない、という人もいる。自称「そういう人」は五万といる。そういう人の話はおいといて、そうではなく、しっかり勉強をして、社会を見つめた結果、お金を稼ぐこと、安定した生活を目指すことを選択しない人がいるということだ。
 道楽に生きるということではない。道楽は、それなりの生活基盤を作り終えて、さてその後に蓄えたお金を基に好きなことをするというのが本筋。トロイの馬を発見した何とか言う歴史学者も、もとは商人だった。道楽の結果が歴史的発見に繋がったという好結果を得た。ま、そういうことはそれでいいかもしれないが、そういうのでもなく、勉強すればするほど人の為に、あるいは将来の地球の為にとか、人類の為にとか大風呂敷を広げているようだが、今風に言えば社会貢献したいと思う人もいるだろう。
 そういえば、昔の(江戸時代の)治水工事などは官費ではなく、地元の庄屋たちが集まって、私財をなげうって土地の人々の為に行ったという話がある。これに通ずる人たち。こういう人たちが、きっと現代にもいるはずだ。本来そういう人が政治家にいなくてはならない。いるかもしれない。しかし、活動資金を集めるためか、必要以上に利権による収入に溺れて志を見失ってしまうのかもしれない。
 そんな英雄は沢山はいらない。もっと地味な、英雄でも何でもなく何かしようという人がもっと増えるといい。勉強の結果そうなるといい。