天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

冬の軽井沢

 軽井沢で長男が結婚式を挙げた。周りの景色はこんなだった。

 式を挙げたのは内村鑑三のゆかりの教会で「石の教会」というところだった。牧師さんはうまい事を言う。「愛せる」と「愛する」とはちがう。「愛せる」というのは、相手に対して愛すことができる理由を求めるが、「愛する」の方は、理由はなくただ愛するのだ。そして本当の愛とは後者であるべきだ。というような話をしていた。新たに夫婦となった若い二人に対して話すと同時に、これはキリストの愛について話している。そのような愛情を持つことができれば、本当に人を愛することができる。
 理由がなく愛するということは、誰をも’愛せる’はず。見返りを求めないのが真実の愛という話だが、「愛せる」「愛する」は言葉のあやのようなところもあるぜよ。しかし、ずいぶん久しぶりに教会と名のつくところに足を運び、賛美歌に接し、牧師さんの話を聞いた。昔、少年時代か、そのようなことを毎週していたことがあった。東京へ出てから別の世界に入ってしまったように思う。そして今も東京にいる。東京の世界に。
 軽井沢は、昔よくゴルフで来たものだった。従って冬の軽井沢は初めてだった。白い世界の木立は美しい。

 式後、先方のご家族と一緒に食事をし、宿泊したのは近衛文麿の別荘だったところで、林の中の静かな場所だった。少ない人数で貸切になるほどの広さ。一夜明けた今日がバレンタインデーで、なかなかよくできた取り合わせだった。二人が助け合って生きていってくれればと思う。もうこれからは親の出る幕は無い。出るべきではないと思う。大人となり、パートナーを得た後は二人で生きてゆくのがいいのだ。
 さてそこで、中国であれば大家族で親と同居するのが筋。日本の昔もそうだった。しかし、自分の頃から、家業を行なっている家柄でなければそういうことは無くなってきたのだった。若者にとっては自由でいいのだろうと思うが、経済的には難しい時代になってきた。そういう意味も含めて、色々な面で二人で力を合わせてやっていって欲しい。