天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

9.11

 3.11の地震から半年。ニューヨークの9.11から10年になる。どちらの出来事も、日本人だけでなく世界の人々にとって衝撃的なことだった。そしてどちらも終わっていない。
 まず半年前の地震については、未だに避難所生活を余儀なくされている人たちが大勢いる。仮設住宅に入った人たちも、生活基盤が安定するにはまだまだ時間がかかるだろう。こういう人たちの支援をボランティアで続ける人がいる一方、政府としての対応に増税が検討されている。そのことの是非を巡ってテレビ討論会のようなことが行われている。
 私の考えはこうだ。お金について言えば、出せる人が出す。出来ることがある人で、支援の志がある人は出来ることをする。そのための仕組み作りを政府は行うのがいい。増税ありきではない。お金はまだまだ色々な名目で「備蓄」されているものがある。国民が窮しているときにそれを使わないとはどういうことか。金の算段より、まず何をするのかというプランがなくてはならない。単なるバラマキではいけない。そこに生活する人達が継続的に自活できるようになるための仕組み。そのための足掛かりとして何をするのか。ひょっとすると、こういうことはお役所仕事では難しいのかもしれない。
 さて次に10年前の出来事。あの時は、私的には会社が合併した半年後というタイミングで、色々と影響があったが、この点は今日は語らない。飛行機2機がワールドトレードセンターという、当時のNYを代表する建物に次々とぶつかっていった。その様子がまるで映画のようにテレビ画面に映し出された。そのとき、かの国の大統領はテロを予想する情報を知りながら、ゴルフ場にいた。そのバカさ加減を映画にした人もいた。
 この出来事は宗教戦争であるという見方もある。アメリカはキリスト教国であり、反イスラムイスラム教徒をテロ集団と決め込んで妥当イスラムとばかりのりこんだ。オサマ・ビン・ラディンを9.11事件の首謀者として、やっと今年5月に死亡を確認したとされている。かの地、アフガニスタンでは我らが中村医師が9.11事件の遥か前から活躍しておられる。かの地の庶民が自給できる生活環境を整える取り組みを続けている。頭の上を砲弾が飛び交っているのではないか、という印象すらある。
 中村医師は、政治に翻弄される庶民生活を少しでも安定したものにするために頑張っておられる。まったく頭が下がる。東北地方で被災した人たちの生活を取り戻すために、何かできることを考えていらっしゃる先輩もいる。(後輩もいると思う)当面眼先の仕事をしているわが身としては、そういう人たちへの協力をしなくては。