天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

司馬遼太郎作品の魅力

 司馬氏の作品に初めて接した時、これが小説だろうか、という驚きのような感想を持ったことを思い出す。小説や物語というものは、プロットを追いながら場面描写や心理描写が綴られ、読む者を引き付けてゆく。そして読者に共感や感動を与えることで、作者としての主張がそこに滲みでてくるものだ。と思っていた。
 しかし、司馬さんの場合にはプロットを追いながら、解説をしてしまう。特に歴史小説の場合には、書き手としての司馬さんの私見や感想まで入ってしまう。なので、小説を読んでいるのか歴史書を読んでいるのか、はたまたエッセイなのかよく分からないぞ、と感じることがままある。
 場合によっては、次の展開が知りたいのに時代解説が入ってしまうこともあり、面倒に思うこともあるが、通してみれば主人公のおかれた背景を理解しながら読み進むことにより、かえって主人公即ち歴史上の登場人物の思いに対する理解が進んでいることがわかる。
 また、さらっと評論する言葉に、司馬さんの歴史観、人間観が託されている。歴史小説の中で突然出てくるので、オッと思うことがあるが、その内容に共感する。そのあたりが司馬作品の魅力であり、今なお多くのファンがいる所以であるだろう。
 たとえば、こんなくだりだ。
「社会が未成熟のままに、上からの強権でもって急速に工業化や重商主義をとる場合、そのひずみは農民にしわよせされる。」
「科学・技術という、本来、社会の結果としてあらわれるものを、ことさらに出発点としてヨーロッパ化を進めた。」
 これは、いすれもロシアのことに言及した文章であるが、前段は未工業化、未商業化していない地域に対して貨幣経済を持ち込むことによる弊害を指摘する趣旨と同じだ。