天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

山田

 佐高氏のおかげで、司馬本を注意深く読むようになった。今読んでいる司馬氏のエッセイ集の中で、山田を日本の競争社会の象徴であるという風に書かれていた。かつての中国や韓国との比較で、山田すなわち棚田は日本独特のもだとする。以前この日記でも日本と中国の段々畑の写真を見たことがあった。司馬さんはこれは日本人がひとより豊かになるために、少しでも田を増やそうと山の上まで段々を作って田んぼにしたのであるとする。当時(日本の戦国時代ころ)は日本は土地が私有だったため、こういうものができたのであり、中国や韓国のように王朝の権力が強く、土地が朝廷のものであり、人民はいくら働いても果実は召し上げられるため、山の上まで田を増やすという発想がなかったとする。
 しかし、前に見たように中国雲南省の棚田は有名。規模もベースの土地の広さをみれば、日本の棚田より広いことは確か。中国の穀倉地帯は中原といわれる地域で、長江流域の平らな土地だ。雲南省は山深い土地で少数民族の土地である。ここでは食べるために、山の上まで田にしなくてはならなかったのではないだろうか。日本も棚田を作った理由は、山間部でも人が生きる糧を得るために山を開拓したと解釈する方が自然のような気がするがどうか。
 話は司馬氏のエッセイ集「歴史の中の日本」。タイトルはこうだが、中に歴史と人物といううくくりがあり、吉田松陰などが書かれている。そこで意外だったのが、その中で自分は庶民派であるということが書かれている。手にしているのは文庫本だが、初版は1976年。このころというのは、まだ司馬さんが歴史小説をガンガン書いているころで、佐高氏が言うように後日反省の記を書いているという時期ではない。ブリキのような戦車隊の隊員だった司馬氏は、戦争の現場が兵卒のものであり、将は役に立たないとうこと。歴史を動かすのは庶民だというゆなことまで書かれている。
 思うに、司馬氏は歴史小説としては、流れを俯瞰しながら大局がわかるように解説しようと試みるあまり、その中での庶民の様子を書かずに、みなが知っている有名人を登場させて、興味を引こうとしたのではないだろうか。多く読んでもらうための技法だったのではあるまいか。そして、登場人物のだれをも悪者に書けない人の良さがあったために、佐高氏が指摘するようなスキというか誤解される面をもってしまったのではないかと思う。その歴史小説を読んだ読者が、経営者だろうが農民だろうが司馬氏の知ったことではない。
 とにかく冷静に読んでみるものだ。