天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「義経」(上下)司馬遼太郎

 久々に司馬遼太郎本を読んだ。しばらく前に古書店で司馬氏の文庫本を買いあさって在庫になっていたものだ。今や古書と言ってもここまで黄ばんだ本は売ってないゾ、と思うくらい古かった。無理もない、1977年の初版で、手にしたのは1980年版だ。
 源の義経といえば、子供の頃に漫画本で接したのが初めてだった。その印象があまりにも強かった。義経はかっこよくて戦に強いが、何故か兄の頼朝に嫌われて、不幸な最期を遂げるとう認識だった。
 この本では、相変わらず司馬節で書かれているので、歴史解説書を読むような感じだが、当時の社会情勢の解説が入っているので、なぜ頼朝が義経を討ったのかということがよくわかる。また義経の性格のようなものは司馬氏の創作によるところが大きいと思うが、なんらかのよりどころがあるのであろう。要するに広く知られているように純粋な性格といえばそのとおりだが、幼児的にまで単純なお人よし的な性格に描かれている。
 面白いのは当時の社会情勢。とりわけ関東の新勢力とみられていた人々の暮らしぶりだ。牧野を駆け巡る放牧生活。土地に根付いた生活。その暮らしぶりはモンゴルの人達の生き方を彷彿とさせるものがある。
 モンゴルだけではない。チベット高原で羊やヤクを追う暮らしをしている人達もいる。この社会にとっては、草をはぐくむ土地が大切で一族が助け合って暮らしてゆく。その暮らしを守り、継続させてゆくために長年の間に培われた生活習慣や風習というものは、どこか似ている。
 また中国の歴史で軍閥と呼ばれた集団が、庶民生活を守ることでその存在が認められていたことは、この義経の時代の関東武士のあり方に似ている。
 そして勢力争い。当時のあり方では、兄弟の関係よりも集団の秩序を優先するところがあった。そうでなくては自分の力を維持拡大することができなかった。平家との戦いに勝った後の義経の存在は、鎌倉の頼朝が権力を集中させてゆくには不要だったということだ。
 現代の権力闘争も、命こそ狙わないもののさほど進化したものには見えない。くっついたり離れたり。人の営みはなかなか変わるものではないのか。