天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

家探し

 私がこの団地に来たのは、自分が何歳の頃だったろうか。二人の息子が小学生になる前に、狭い社宅から出て子育てする場所に移りたいと思っていた。そうしたところへ、同じ社宅の先輩が引っ越しをして出てゆくという。その引っ越しを手伝いがてら、見に来たのがこの団地だった。抽選会は終わったが、売れ残っている場所はより取り見取りの状態だったので、とりあえずという気持ちで来た。お金は無かったが、給与証明で返済能力ありと判断されたので、公団の全額ローンだった。
 そしてその子供たちは二人とも、この家を出て自分の生活を伴侶とともに始めている。一人は、奥さんの祖母という人が暮らしている家に一緒に住むことになり、当面そこに落ち着いている。相手のご家族のご配慮もあってのことだろう。ありがたいことだ。もう一人の息子は、夫婦二人で高い家賃を払ってマンション暮らし。それなら買った方がいいだろうという考えで、家を探し始めた。
 おりしも職場の同僚の息子さんが同じような状況で、条件の良い分譲住宅の抽選に当たった。そんな話も聞こえてきた。そういう世代になったということなのだろう。
 継ぐべき「家」というものがあった時代、もしくは継ぐべき稼業というものがある家系では、長男もしくは子供のうち誰かは、いづれは親の家を継いでその土地で暮らすというのが当たり前だった。
 我が家の場合、私の父親が農家の二男であったことから継ぐべき家が無い状況で東京に出た。自分の家を持ったのも、私が大学生となり、家を離れる頃になってのことだった。そのあたりから個人で独立してゆく生き方が世の中の風潮となった。それは独立志向の強いアメリカ人の生活感覚を受け入れることでもあった。サラリーマンとして、家を継がない息子でも十分に自活できる経済状態に日本がなっていたということもある。
 さてウチの息子たちはどうするのだろう。世の中には、抽選に当たる当たらないとか、運というものもある。運が良いとは言えなくても人間らしい生活ができる世の中こそ、次の世代に残してゆかねばならない。