天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

父親節

 八月八日は、中国では「父親節」。発音がPAPAなのでそういうことになっていると思われる。日本は別の日だったな。
 ともあれ父親に感謝する日があるのは悪くない。私も父親だった。が、二人の息子が父親をやっているので自分はもはや父親卒業ということで自由にさせてもらっている。ではあるが時々孫のお世話を頼まれる。
 本来、日本的あるいは中国もそうだが、家族制度では同居が基本で、孫の世話はジジババの仕事と決まっていた。ところがアメリカナイズされて核家族化した社会では、子供が独立すると別居があたりまえのようになっている。おかげでジジババは自由に遊んでいる。
 昔のように家計を支えるのが夫で、妻は家庭に入り子育てに専念するという図式はもはや見られない。ゼロではないにしろ、少ないだろう。その理由は、物が豊かになった社会で暮らすのに十分な収入を確保するには、もはや死語になった「共働き」が必要。ということと「女性の社会進出」とか「女子活用」などという言葉で、女性がいやおうなしに働きに出る風潮になっているように思う。
 そこで保育園に子供を預けることが必要になる。それが足らないので、ひとつの社会問題になっている。稼ぎがなければ、子供を保育園に入れるお金もなく、結婚すらできないということに少子化の根本原因がある。
 ともあれ、現代のパパは、子供を妻に任せっきりで会社人間になっていることはありえなくなった。子育ても共同作業だ。そうなると、「父親節」というのが日本でいう「母の日」、中国の「母親節」と同様に意味を持ち始める。日本の「父の日」は昔は「母の日」に対応して名目上作られていたようなものだが、今や母の日と対等になってもいいだろう。


 ジジババは、特に「祖父の日」とか「祖母の日」などというものはない。時々おせわする代わりに孫のかわいい姿を楽しませてもらう。先日はバレエを習っている孫娘の初めての発表会。どうなることやらと思っていたが、こういう姿を見るのは楽しい。バレエの発表会というのはお金もかかるし、いつまで続くか、バレエで身を立てることなどできるのか、なんともわからないが今のところ無責任に楽しませてもらっている。
 切実に思うのは、この子たちが成長して生きてゆく社会が平和で住みよい社会なってくれること。具体的には原発が無い、戦争が無い世の中。人間の住環境が大自然と調和してゆける社会。現代は地球の大半が程遠いと言わざるを得ない。