天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

時節柄

 この季節は、テレビでは戦争関係が多くなる。1年に1回くらいは、あのような戦争を繰り返してはいけない、ということを思い起こすことはいいことだ。「あのような」、と言いながらその時代には自分は生まれていなかった。「戦争を知らずにー、僕らは育った」世代だから。
 だがしかし、戦争は過去のものだろうか?過去のものであり、繰り返さないと言っているだけでいいのだろうか?という問いかけがあった。ガーン!今でも世界のどこかで銃を持って人殺しをしている輩がいて、その犠牲になっている庶民がいる。よその国だから、遠い国だから、過去のことだからというものではない。毎日のニュースで家に居ながらにして知りながら、「見てるだけ」でいいのだろうか。いいわけが無い。
 その考えを延長してみれば、問題は戦争ばかりではない。貧困の問題、水不足の問題、医療や教育の問題、などなど全て、ヒトゴトで遠い話。自分には関係ない。かわいそうだが特に自分に出来ることはないし、という姿勢、態度はイカサマになる。他人の不幸は自分の幸福?
 無論、自分自身がよりよく生きようと努力することは、何も恥じらうことではない。しかし、ひとを見殺しにして自分だけがよりよく生きられるのだろうか?身近な話で言えば、他人より優位な立場でお金を多く稼ぎ、高級車に乗り、美味しいものを食べて優越感に浸る。それが幸せだろうか。テレビにどこかの国の人たちの悲惨な状況が映ると、自分の生活には関係ないと目をそむけてチャンネルを変え、お笑い番組で痴呆的な笑いで時を過ごす。ああ、やんぬるかな。
 で、何ができるかということで、少しく無力感を感じたりする時もある。が、そのことを忘れないでいること。何かできることが見つかった時にすること。出来ることがないか探すこと。している人を応援すること。何かできるように自分の能力を磨くこと。なんでもいいのではないか。持続可能な視点で考えつつ行動できれば可なり。