天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

中国映画鑑賞

 久々に現代中国映画上映会に出かけた。夏場の5本立て。しかし1本目の「北京のドブ」というのは以前見ているので、2本目の時間から出かけて、一気に残り4本を見る予定が2本で帰ってきた。
 見たのは、まず「私の一生」。1950年の作品。原題は「我這一輩子」という。清末から日中戦争勝利までの混乱の時代に生きた庶民の話。北京のほんとに貧しい庶民が、警察官という職を得ながら悲惨な一生を送る。当然そこには時代背景があり、まじめに暮らそうとすると理不尽なことばかり。そこに立ち向かう初期の共産党のメンバーも出てくる。まだ国共戦争をしている頃で、中華人民共和国成立の直前の状況のなかで、苦労した庶民の姿が生々しく描かれている。日本が侵略している時期には、慰安婦を調達する状況などがあまりにリアルに、かつ誇張も含めて出てくるので、見ていて気分が悪くなるほどだった。
 あまりに重い映画だったので、一本で十分と思ったがつぎの作品のタイトルが「嵐の中の若者たち」というもので、案内の会報に女優の写真も出ているので、これを見て少し明るくホッとして帰ろうと思った次第。こちらの原題は「風雲児女」というもので1935年の作品。
 1935年の映画でしかも中国の映画とはどんなものか?下に英語字幕が出て、右側には別途上映会の方が日本語字幕を写してくれている。声は中国語。普通語など無い時代なので、北京語というのが正しいかもしれない。やはりその頃の映画なので、演技はクサイ。舞台は上海から、最後はやはり満州方面での抗日戦争の場面。主役の役どころは、上海の芸術家たち。詩人の男性が主役。なので、庶民とはいえないかもしれないが、生活苦があるのは同じ。金持ちの女性も出てくる。あのころも貧富の差は激しかった。その様子も分かる。当時の女性の厚化粧は本当にパンダかタヌキのようだったらしいことがよく分かる。
 いづれにしても2本とも共産党認可作品という感じだ。そうでないものは存在しない。ともかくこれ以上は見る元気が無くなり、なにかこうすべてに元気が無くなった感じがしながら帰ってきた。
 特に1本目の主人公が、62歳で何もかも失って、頑張って生きてきたことが何だったのか、見いだせないまま倒れる場面は重すぎた。自分で良かれと思ってやっていることが、欺瞞であったり偽善であったりするのではという疑念を払しょくしないとな。