天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

貧困率15.7%

 先日の政治放送で、貧困率15.7%という数字が出ていた。この数字をどう出したのかはよくわからない。どうせ年収とか資産を金額換算して一定の数字以下のことだと思う。まさか、年収レベルの格差の下の方の一定の層というのではないと思う。格差ベースで見れば、お金持ちの首相から見れば、我が家は明らかに貧困層に入るに違いない。
 また現金収入だけでは、実態を見誤る。農業の場合には、現金収入が少なくても自給自足ができて、家族と共に豊かな暮らしが出来ている例もあるはず。農業といえば、戦後の農業政策の失敗は、農業に工業化と同質の効率を求めて競争社会においたことなどが原因であるらしい。自然相手の農業は、個々の頑張りだけでいつもうまく行くわけではない。場合によっては保護も必要であろうが、何よりも部落、村単位の協力体制が必要なのだ。
 そういえば中国においても、人民公社個人請負制など色々と政策を変えたりして、苦心惨憺している。ものの本によると、適当なサイズの集団で協力体制を築くことが大切らしい。日本の場合には、農業協同組合の存在がある。詳しく調べていないが、その効用と弊害の両面があるらしい。我が親戚の農家は明らかに弊害を被ったほうだ。じつに無責任なやり方で農民に借金をさせたらしい。
 閑話休題貧困率の話。数字の根拠はともかく、15.7%というのは看過できない数字だ。もう皆がみな中流階級意識の社会とはいえなくなったということだ。日本の財政自体、莫大な借金財政だ。高度経済成長の再来は望めない。財政の建て直しには、ヨーロッパの賢い国がやってきたように、地味で正当な施策をがまんしてやってゆく他ないのだ。国民も我慢しなくてはならない。過去のツケは必ず来る。したがって我々庶民は、人より稼ぐことに価値を見出すのではなく、真に幸福な社会を目指して自らの役割を果たすことに喜びを感じるようにならなくては。意識改革、一種のパラダイムシフトといえるかもしれない。
 そういいながら、自分では相変わらずの生活を送っているような気がする。きっかけがなかなか来ない、と他力本願。意識は変わってきたが生活が以前と同じ惰性に流れているかな、と弁解。いずれにしろ、待っていては始まらない。地味に何かやろ。