天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

日系ブラジル人

 月刊日本語という雑誌を見ていたら、日系ブラジル人のある人の記事がでていた。「日系ブラジル人」という言葉で連想されることは、1990年の出入国管理法の改正により、3世までの日系ブラジル人が就労制限無く日本に在留が認められるようになったこと。即ち、日本の労働力確保に元々日本人の子孫である人たちを、優先している。
 本題ではないが、それはどうなんだ、ということはある。同じような顔かたちをしているので、日本側も受け入れやすいということなのだろう。が、ご本人たちはブラジルの文化の中でポルトガル語で育ち、日本とは、自分の2,3世代前の人がかつて住んでいた、地球の裏側の国と言う程度の認識だったはず。それが自分たちを受け入れるというので、経済的な理由などから、行ってみようというので来た人たち。
 日系ブラジル人という言葉で連想されるこのパターンを、ステレオタイプと呼ぶ。しかし日本に居住する日系ブラジル人はすべてこう言う人達かというと、当然そうではない。
 その雑誌に取材されていた方の場合は、ご主人が日系企業にお勤めで日本勤務となり、家族でこちらに来られている。驚いたのは、ボランティアでホームレスの人たちに炊き出しをしたり、勉強会を開催して彼らを何人も更生させたりしているとのこと。この事実は日系ブラジル人という言葉からうける印象と、あまりにもかけ離れている。
 感動した!感動しやすい私はすぐに感動した。東洋のマザー・テレサのような人ではないか!と思った。事実そうなのだろう。そしてすぐに自分に置き換えて見るくせのある私は、知っている範囲で例えば中国で、農村から出稼ぎに出て失業してホームレスになった人たちに、自分で何ができるだろうかと考える。しかしこれと言ってすぐに上手くできそうなことが思いつかない。なので行動できない。
 彼女は行動している。なぜ行動しているかを考える。意地悪な言い方をすれば、そのような余裕があるということもあろうが、思うに、彼女のおじいちゃんが日本からブラジルに渡った直後は、金も無く仕事をしても上手くゆかない、食べるものもなく途方にくれていたときに、支えてくれた人たちがいた。だから今日、家族が幸せに暮らせている。という話を聞いて育ったのでは。すべて想像の世界。そして日本に来てみたら、日本人社会の中でもそういう人たちがいた。自然とそのことに対して行動を起こした、ということかもしれない。すごい想像力。
 ともあれ、結果その姿は、何国人がどの国で活動しているかということは問題ではない。足りている人間が、困っている人間に手を差し伸べるという行動なのだ。足りている側の私も、何かをしなくては。