中国映画「櫻桃」(さくらんぼ)
月一回の現代中国映画会。今日は掲題の映画。貧しい農村で、女の子の捨て子を知的障害のある女が母親として育てる、という筋書き。母親役の女優苗圃(ミャオ・プー)は、美人女優として売れているらしいが、この映画では言葉も話せない薄汚れた女を見事に演じている。
そういう映画的な評価はともかく、ここで私が感じるのは、中国の社会が知識障害と言われる人を受け入れているということ。結婚相手としても受け入れているのだ。ハンデキャップのある人は、日本であればなかなか外に出ない。むしろ出されないと言うべきか。最近は少し事情が異なり、一つの個性として認めようということになって来ているが、昔は違った。
そこへゆくと、中国の場合、意識して認めようというのではなく、知的障害だけでなく、何らかの事情で手を失った人、足を失った人、色々ハンデのある人も、そういう人も当然いるという感覚で一緒に生活をしている。決して遠巻きにしたり、忌み嫌ったりしない。
子供は残酷で、ストレートだ。この映画でもこの母親を子供たちは「うすのろ」と言ってはやし立てる。これは仕方が無いし、変に大人っぽく思ったことを言わないどこかの国の子供より、かえって子供らしくていいかもしれない。
更に思うに、中国の社会がそういう人たちを受け入れるのは事実として、自分たち自身の人生を諦観を持って受け入れているのではないだろうか。例えばこの映画ではこの女の結婚相手は貧しい農村の足の悪い男。その母親から「足の悪いお前は嫁の来手が無いだろうから、この娘を大事にして一緒に暮らせ」との遺言があったのだった。そもそも、その母親は更に貧しい家からその知的障害のある娘を引取って育てていた。別の本では、貧しい故に美しい娘が、知恵遅れの金持ちの息子の嫁に納得してなる場面が描かれている。
今や中国はそういう面ばかりではない。沿岸部に住む富裕層の人たちは、もはやそのような感覚の持ち主は少ないであろう。しかし、この映画は2007年の作。今だこのような映画が涙を誘う映画として作られるのというのは、まだまだそういう感覚の社会なのだと思う。
そのことを、私はどちらかというと人間的で好ましいものとして見ている。