天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

 さて、司馬遼太郎氏の本が愛読書の一つです。長編の歴史小説の他、エッセイなども面白いと思う。元々は、氏の「街道を行く」シリーズに中国バージョンが何冊か入っているので、それらを読み出したのがきっかけだった。また、氏は父親と生まれも育ちも違うが、同世代ということなので、父の時代の人は何を考えていたのかを知ろうという思いも有った。 
 ともあれ、そのエッセイを読んでいると、小説と違い、それがいつ書かれたかが明確であるところが面白い。小説は、特に歴史小説である限り、最近書いたか30年前だったのかはさほど問題ではないし、気にならない。
 しかしエッセイの場合、首相のことを「池田さん」と書いてあったり、「今年は1964年だから云々」などという箇所を読むと、わっあの頃こんなことを書いていたのか・・・と思うことがある。
 歴史小説ならずとも、今読んでも十分に共感できる部分がある。1964年と言えば今から40年以上も前のこと。そこに何が書いてあるかというと、「今の若者はなにをしちょるか」という気配は好まない、ということが書かれている。その時、その時で若者は頑張っていることをこそ評価すべきであると言うことなのだ。「その時」というのは、彼ら若者にとって今であり、我々が若かった時とはもはや時代が違うのだ、ということを認識するべきなのだ。
 先日、久々に若者と話をしたら、彼なりに冷静で良かったと思った。仕事のことで相談に来たのだが、会社そのものがもはや我々のかつての感覚では判断しきれないものだ、と言ったらいいだろうか。昨日は、先輩と話をしていて我々は「会社に対して幻想を持っていた」ということで一致した。
 我々にとって会社は、父の時代から終身雇用が基本であり、会社の事業を成功させることで、社会に貢献・社会参加をし、自分の生活も成り立つ、というふうに思っていた。
 しかし、こう合併や統合が繰り返されると、かつて自分を育ててくれたと思っていた会社は別のものになり、会社そのものに対する考え方も変わらざるを得ない。今の若者は、そいういう時代にこれから生きていこうとしているのだ。
 今夜は何が言いたいのかといえば、日本の若者にもエールを送りたいということか。