誕生日の思い出
タイトルが小学校の作文のようで、かたじけない。実は明日が私のウン回目の誕生日。誕生日が楽しいのは子供の頃であり、明日になっても楽しいことは期待できない。しかし、私は3年前の誕生日を忘れられない。
3年前の6月25日は広州にいた。3年前は日曜日だったと思う。その日の1週間前にある中国人の引越しのお手伝いをした。そうしたら、その新しい部屋で1週間後にお礼にご馳走するということになったのだ。「その日は私の誕生日だからうれしい」などと言いながら行って見た。料理は何が好きか聞かれていたので、中国語で言える料理の名前を言った。チンジャオロースーとかだ。そして出てきたものは、私が注文した料理の他に、尾かしらつきの魚を煮たやつ。中国風のピリ辛煮。何の魚かわからないが、有り難くいただいたら、骨がのどに刺さってしまったりした。
話はそういうことではなく、その後。お腹いっぱいに食べたあと、「フー、チイハオラ(吃好了:おなかいっぱい)」などと言っているとドアをノックする音。誰かと思ったら、ケーキやさんが誕生ケーキを届けに来たのだった。ケーキ屋ケンちゃんではない。でかい箱を開けるまで何が入っているか、私はしらない。
箱を開けると、でかいピンクのしかもハート型をしたケーキが出てきた。ロウソクも付いていた。ご飯をおなかいっぱい食べた後に出てきた大型ケーキ。その心づくしに感動しながらも、こんなに食える訳ないだろう。しかし、彼女(そう彼女だったのだ)はローソクに火をつけて「生日快楽(誕生日おめでとう)」と祝ってくれる。食べないわけには行かない状況に追い込まれる。泣きそうに吐きそうになりながら、「ハオチー(おいしい)」とか言いながら少し食べる。とても全部食べられるわけが無い。残りは新居に新しく買った冷蔵庫に無事おさまった。
そのあと、記念に写真を撮ろうという。写真を撮ってくれるところへ行こうと言う。写真館かどこかへ行くのだろうと思ったらタクシーは珠江のほとりに着いた。そこに、観光客相手に記念写真を撮る写真屋さんがいたのだ。しかしその時、タクシーを降りようとすると「中国の物乞い」で書いた、あの少女が私に花束を投げてよこしたのだ。そこで、少女と彼女との烈しいやりとりになり、彼女は写真屋の前をプンプンしながら通り過ぎてしまった。なので記念写真は無し。
とにかくそしてその後、パンパンになったおなかをかかえて私がホテルに戻ると、部屋に白い大きな誕生日ケーキが置かれてあった。これはホテル側の誕生日のサービスだ。実はこちらの方が、おいしそうなケーキだ。広州で1,2のホテルが出すケーキだからそのはず。しかしもう食えない。なので、すぐにそのケーキはホテルのサービスステーションにもってゆき、「みんなで食べてね」とそこの少女に渡した。彼女たちにとっては思いもよらぬ夜のおやつになったはず。
あの日、日本で誕生日を迎えたら、決してあのように2個のケーキ(数の問題ではないが)で祝福されることは無かったはず。
そして今後もあのような誕生日は期待できない。少なくとも日本では。そして明日は私は日本にいる。