道教についての古い本を読んでいるが、ページの主な部分は次の二部。
第一部 気の技法
第二部 陰陽養性法
気の技法として書かれているのは、気の取り込み方。体の各部位が道教的に書いてあるので、分かりにくいが、「気」はどう見ても呼吸することで取り込む。
単に空気というだけでなく、体に酸素を取り込んだ時の反応を含めて「気」と言っているような「気」がする。「気」のせいだろうか。ギャグばっかり。
そして説明されている体の動かし方を、呼吸法として教わったものと考え合わせると、ズバリあの呼吸法は道教に由来する気功だったのかと理解する。
本では「天鼓」と書かれている動作が、呼吸法(気功)を行う準備体操の位置づけ。歩きながらげんこつで丹田の前と後ろを軽くたたく。教わった呼吸法もこの動作から始める。横になってする動作は、呼吸法講座では寝るところが無いのでやらなかったが、昔読んだ岩田一男さんの本を思い出した。中学生の頃に英語の単語の記憶術について書いた本だったのに、体をリラックスする方法が書いてあった。それと同じようなことが、100年以上も前の道教の本に記されている。
気についての記述では、食べ物については詳しくは書かれていないが、
「食事は、苦いもの、塩辛いもの、油気の強いもの、脂肪分の多いものは食べてはならない。・・・犬や豚の肉、生の果実なども絶対に禁物である。」
生の果実以外は、この教えに沿った食事をしている。中国では犬肉を食べる地方はある。赤犬の肉は体が温まるという。呼吸法についてはまた。
<今日のひとこと>
Imagine Yourself at Your Own Funeral
自分自身の葬儀を想像してみよ、ということだ。そうすると何がいいのかというと、差し当たってしておくべき事柄の優先順位が明確になる。
あれもこれも、やっておきたいことが色々でどれも中途半端になりがちのところ、順番が明確になれば、まず優先順位の高いことを手掛けて次にと落ち着いて物事がこなせるということだろう。
自分は何かな。余分な荷物をの残さない断捨離と、わずかな資産の目録と分配方法。まだできていない。まだ時間の余裕があると思わない方がいいだろう。こうした個人的なことは最小限のことで、次は、孫たちが安心して暮らせる世の中を残したい。残したいが、一人では無理。漠然とした言葉も不可。原発をなくす。民主政治を行える政治家を選ぶ。選ばれるように声を上げる。
今日は、缶入りコーヒーが買えた。このサイズの缶が二胡の胴にぴったり。
先日のビスケットの缶ではイマイチで、さらに改良をしたい。よこの缶は、以前買ったかもらったか忘れた中国茶の缶。これも捨てがたいが、コーヒー缶には負ける。中身が入っているので、ゆっくり飲んでから工作するか。優先順位高くないが、楽しみなのでカラになったらさっさとやりたい。
ひょっとすると、楽しい事をさっさとやるのがいいのか。楽しみは後にというのがいいのか。後にと言ってる間にポックリかもしれない。優先順位はむつかしい。笑