かなり前に古本屋で求めた積読本を読み終えた。当初読み始めて中断していたのは、同じような出来事が漢字の名前でツラツラと述べられている、という印象だったからだ。しかし時間のある時に、少しづつ読んでみると、太古の昔から変わらない人間模様が見えてきて、人間は進歩しないなあと感じる。
「十八史略」とは中国の歴史書をまとめて、即ち略してみたものということだろう。
ちなみに18の歴史書とは、次のものらしい。
9.陳書 10.魏書 11.北斉書 12.周書
13.隋書 14.南史 15.北史 16.新唐書
17.新五代史 18.続資治通鑑長編
最初の4冊以外はなじみが無い。資治通鑑は知っていたが続編があるまでは知らなかった。その他の書名は大半が存在した国の名を付したもので、その国の記録が書かれた書なんだろう。
「小説十八史略」では、隋までの出来事が書かれている。上記の史書を紐解いて書いた本だとすると、さすが陳さんだな。
感想としては、権力闘争の歴史のよう。三国志の内容は比較的後の方に出てくるが、それ以前の長い歴史の中でも同じようなことがあったということだ。
日本の歴史に比べると、途方もなく長い。少なくとも日本はここまで古い記録は無い。そういう古い時代の出来事が記録されている書があるところがすごい。焚書という出来事もあったが、心ある人たちがちゃんと残したものがあったわけだ。
焚書は、文革が近代における焚書でもあり、最悪ものものだったと言わねばならないだろう。
都合の悪いことを消してしまう。無き者にしてしまう、という行為は現代日本の安倍政権が得意とするところだ。
しかし、心ある人たちは常にいるもので、ボロが次々に出てくる。彼が生きているうちに裁かれるかどうかは、まだ分からないが、先々になって現代を振り返るときには民主主義を侮った行為を数多く行った最悪の人間として政治史に記されることになる。
つい書くことが日頃のイライラの方に行ってしまう。
そもそも日本は民主主義国家で、ちゃんとした制度もあるのに、こんな状態というのは何故だろう。
先の大戦に敗戦したことの認識が日本人に不足している。その為にA級先般の孫が、能力もないのに大きな顔で政治家をやっている。それを許すのは、目先の利益に追われる起業家が彼らを利用することと、一般大衆が政治に無関心でいることだ。それがまた世襲政治家や金権政治が政治だと思っている政治屋たちの思うつぼ。
十八史略を読んでみると、随分古い時代から人間の営みが変わらないことが分かる。
人間の価値観が変わらないと、本質的にやることが変わらない。
政治がまっとうに行われたら、まだ救いはあると思うが、今日はこの辺で。