天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

作兵衛さんと日本を掘る 熊谷博子監督

 不思議なことに、この前、山本作兵衛さんの炭坑の絵の本を紹介したら、これが映画

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になっていた。それを知って、さっそく見に出かけた。

 ネットで見つけて、昨日行けたら行こうと思っていたが、知人の弁護士を訪問したりしてタイミングを逸した。ところ、今朝の東京新聞のコラムで斎藤美奈子ちゃんが「炭鉱ガール」なんちゃって映画を紹介しちゃってくれちゃっていたので、混むだろうなと思いつつ、ここに着目する人はさほどいないだろう、というヨミで行ってみた。場所は東中野ポレポレ。

 映画との遭遇は、偶然とはいえ不思議。これは、天がこのことはもっとしっかり認識をしろよ、と我が身に語り掛けているのだ。と受け止める。本をサラッとだけでなく、映画を見てよかった。この山本作兵衛さんの絵に関して、背景やら関連する人が映画の中の取材対象になっていて、これはどういうことなのかがよく分かった。

 整理してみよう。

 山本作兵衛さんは、元筑豊の炭鉱夫で、60歳を過ぎてから炭坑の様子を孫たちに伝えようと本格的に絵を描き始める。その絵がユネスコの世界記憶遺産として認定されたのが2011年5月。宮城県沖地震原発事故の後だ。それまでの間にも実は山本さんの絵に感動して画集を出したり、記録を保存する”筑豊文庫”を作ったりした人たちがいた。ということが映画を見てわかった。

 映画も、熊谷博子監督が放映後に挨拶をして語ったところによると、7年の歳月をかけて作られたそうだ。世界記憶遺産に登録されて、その背景を映画化しようと思ったのだろうが、その背後にあることの重さに唖然として、何度もやり直したそうだ。

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映画の看板

 山本さんの絵に感動した画家は、菊畑茂久馬氏。山本さんの絵を見て、その重さ、すばらしさに感動して自身は20年も絵が描けなかった。美術学校の生徒達には、作兵衛さんの絵を壁画に写させたそうだ。

 また記録作家の上野英信氏は、筑豊文庫を作り、炭鉱の記録を残している。

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 その中に作兵衛さんの絵本も収録されている。筑豊文庫については、ちゃんと調べて書きたいが今日は省略。

 そのほか森崎和江さんが「まっくら」という本で炭坑を書いている。森崎和江といえば、以前「からゆきさん」という本をこのブログで紹介したあの人だ。

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 映画では、100歳を越す元炭鉱婦もインタビューを受けたりしている。女性も炭坑に入って仕事をした。男が切り崩した石炭を、かごに入れて外に出す車に入れる役だ。二人セットでヤマに入る。この絵のごとく。

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 ポレポレ座の階段に、作兵衛さんの原画が飾られていた。

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 さて、これらの絵が描かれたのは主に1964年の東京オリンピックのころ。世の中はオリンピックに向けて、高速道路や新幹線が走るなど、景気が高揚し始めた時期。まさにこの時期炭鉱が廃坑となった。多くの炭坑労働者は、仕事を求めて全国に散らばった。

 そのころ私は三河にいたが、九州から来たという転校生もいたように思う。原発労働者になった人もいたらしい。原発政策が始まったころでもあった。

 しかしそれまでの日本は、石炭によるエネルギーで経済復興を果たしてきた。その最先端にはこうした体と命をかけた仕事に従事せざるを得ない人たちがいた。そのことを忘れないように、孫たちの世代に伝えようと作兵衛さんは絵を描いたと言う。映画にその孫たちも出てきた。伝えたかった相手は、自分の孫たちだけではない。500年先の人にも忘れられないようにというつもりだったらしい。

 炭鉱は確かに過去のものとなった。しかし、社会の繁栄の陰できつい労働に就く人たちがいることは今も何も変わっていない。この映画を作った熊谷さんや伝承者たちの意識はみなそこだ。

 おりしもまた東京オリンピックだ。誰のためのオリンピックなのか。ゼネコン、不動産会社などは儲かる。庶民が本当に望んだ行事なのか。状況は先のオリンピックの時よりも悪い。先の展望が見えない中で、高額の税金がつぎ込まれる。

 映画のタイトルに「日本を掘る」とあるのは、そういう日本て何なんだ、という問いかけがある。