天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

父の誕生日

 今日は父の誕生日だった。「だった」というように既に過去形であるが、誕生日は長年、お祝いというほどではないにしろ、話題にしているので覚えている。
 一方、亡くなった命日の方は、三回忌も過ぎると何日だったか、その日が来てもあまり気づかずにすぎてしまうことが多い。8月29日だったはず。仏壇も家には無いし、親不孝な話だ。遠くに離れて暮らしていたので、その日も見取ることもできなかった。病院での出来ごとだったので、すぐそばにいない限り無理なことだった。
 とはいえ、母の時もそうだったし、やはり親不孝な奴だ。自分の時も人知れずそっといなくなりたいのだが、そううまくいくかどうか。そういう準備はしておかなくては。残ったものが困らないようにしておく。これがマナー。父はそうだった。
 「子孫のために美田を買わず」というのは、実践できている。美田を買うほどの財産はないのが幸いだった。
 体が元気なうちにやっておきたいことがいくつもある。
 間もなく自分の誕生日も来る。今の勤務先に通うのが終わるまでのカウントダウウンを始めたが、人生の終わりに向けてのカウントダウウンも始めた方がいいかもしれない。あまり先の方に設定すると、のんびりしてしまって相変わらずの状態になってしまう。かといって、あまりにも近い日を念頭に置くと忙しすぎるかもしれない。
 などとやはり呑気なことを言っている。昨日、ある先輩がこれから先、お金を使える時間も限られてくるんどと話していた。気力体力が元気でいればこそ、お金も使って遊ぶことが出来る。お金はなければ無いなりの過ごし方も、楽しみ方もある。どの程度が「あり」でどの程度が「なし」なのか、基準はこれまた個人の思いで決まるだろう。
 自分の場合はとにかく美田はない。孫には話は別という気にならないでもないが、その時が来たら、あまりこの世に思いを残すことが無いようにしておく方がいい。小銭くらいは残すとちょっと喜ばれるかもしれない。
 今日は二胡教室の日だったが、いつも二胡教室の帰りはスッキリした気分になる。始めて約1年。始めた頃は、体調も今より悪く、喘息が出ないように気を使っていたものだった。それが今日あたりは、のど飴も要らないくらいに、咳を忘れている。呼吸法に並んで、二胡は精神的にかなり私の健康に役立っているようだ。中国4000年の文化に感謝。こういうことをして体調を整えながら、少しましなことをしていきたい。