天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「ダラエ・ヌールへの道」中村哲著

 この本は、中村医師が日本向けの活動レポートのような形でペシャワール赴任以来二冊目となる本だ。一冊目は「ペシャワールにて」という題の本。ダラエ・ヌールとはどこかというと、パキスタンから国境を越えてアフガニスタンに入った山間の村だ。パキスタンからアフガニスタンへ医療活動を拡大してゆこうという時期のことが書かれている。折しも、ソ連アフガニスタンから撤退し、アフガン難民が故郷に帰る時期となった。混乱する地域で、かなり危ない目にあいながら所信を遂げてゆく。
 本のあとがきが書かれたのは1993年。今から18年前であり、この時点で中村医師はペシャワールに赴任して以来10年が経過している。この間、元々彼をこの地域に送り出した九州のキリスト教団体と決別し、ペシャワール会という全くの民間支援団体からの資金により活動を継続することとした。彼の活動を支えるのはこの団体の他、中村医師を雇用する病院があった。雇用と言っても日本にほとんどいない人材に給与を支払う訳で、彼の活動を認めての支援以外何物でもない。余談だが、このことを知ったからにはというので、自分としてもペシャワール会に入り、先月わずかながら会費と寄付金を送った。無事受理されてめでたく会員となった。
 中村医師をして、身の危険を顧みず、ましてお金のためではなく、かの地で活動を続けさせるものは何か。一つには、その地域で近代文明とはかけ離れた、昔ながらの生活習慣に従って生きる人々に惚れた、という言い方ができよう。そこに、日本人が捨ててきた人間同士の絆を感じた。そして、現代の日本や欧米の近代的で、個人中心の社会が本当に人間の幸福につながっているのだろうか、という疑問。便利さだけが幸福ではないという確信。そういうものが、アフガンの山岳地帯に暮らす人々の生きざまへの共感に繋がったに違いない。珍しく断定的に書くけど、そう思う。
 科学技術は、我々に便利さをもたらしたが、幸福をもたらしたと言えるだろうか。富を得ることで、便利さを手に入れることができる貨幣経済、商品経済の中に我々はいる。さまざまな自然エネルギーを消費しながら経済は発展してきた。それと比べて、今も近代文明の恩恵に浴さないで生きている人たちが世界にはまだまだ沢山いる。パキスタン北西辺境地域からアフガニスタンにかけての地域に済んでいる人たちもそうだ。しかし彼らは、イスラム教を軸にした伝統的な生き方を守ることでそれなりに秩序ある社会を維持してきた。その生活を大切にすることは、今風の社会の統制下に置こうとする勢力に対して激しく抵抗することになる。これがゲリラとみなされるのだが、彼らにとっては自然な自己防衛だった。
 混乱の中で難民となった大勢の人々がいて、ソ連が撤退した後に難民復興支援と称して欧米各国から色々な支援団体が押し寄せた。しかしその支援とは欧米側の論理であり、支援活動の実効を考慮しないで支援すること自体に自己満足をし、活動をアピールする。支援のために出されるお金は、支援を受ける国の側の一部の権力者の懐に入って、本当に困っている難民庶民にはほとんど何にもならない。私たちが支援だと言ってお金を出すときに、気をつけなくてはならないのはここのところだ。
 ともあれ、中村医師は現地でそのようなあきれた状況を目の当たりにして、自らは現地の人と共に医療活動を通して、共に生きる道を選んだのだ。人間の幸福は富とか経済力だと思っていた時代は終わった。そのようなものの追求では皆が幸福を得られることはなく、共に生きることの大切さに気付かなくてはという考えに自分も至ったわけだが、そのことを実践することは難しい。しかるに、かの地で実践していらっしゃる中村医師には全く頭が下がる。