天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「自分の始末」曽野綾子著

 「戒老録」「老いの才覚」と来て「自分の始末」となると、曽野綾子さんの老人本三部作といったところで、本屋さんにも並べて売っていたりする。しかし、この3冊目は書き下ろしではなく、過去の小説の中の文章を、テーマにそって集めてきたものだ。編集者の作業に負うところが大きい。その努力に曽野さんご自身がまえがきで感謝の意を表されている。
 もう、新しく執筆されないのだろうか。年齢からみると、私のゴルフ仲間でエイジシュートしょっちゅうやられる方と同じくらいだ。まだまだビシット辛口エッセイか、愛と厳しさのあふれた小説を書いてほしいものだ。
 ところで、この「自分の始末」と言う本は、そのタイトルから推して、もうすぐ死期が近いから、人になるべく迷惑をかけないで、自分を、即ち自分の身辺と心を始末しておきなさい、というような趣旨かと思ったら、あながちそうでもない。曽野さんの人間観のエッセンスを、過去の作品から拾い出しているような形だ。その中で終末に係わることもある。
 読んだことのある作品だけでなく、読んでいない小説からのフレーズもある。オムニバスというよりもっともっと、次から次へと過去文が並べたてられる。これでもかこれでもか、という感じがする。そして全体として曽野々々している感じ。ネガティヴな意味ではない。面白い。中国語では「有意思」。
 では、我がダニエル・スチールの作品から、彼女の人間観がさりげなく述べられている部分を拾い集めたら、どんなだろうと思う。が、そんなことをする編集者は恐らくかの国にはいないだろう。と思う。