天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

WATERMARK-Joseph Brodsky

 何故この本が書棚にあったのかよくわからない。確かに買った記憶はあるものの、どうして買おうと思ったのか、そして今まで読まずに放っておいたのかよく分からなかったのだ。
 読んでみて分かった。
 買った理由は、恐らく、本のカバーの裏に「心が疲れた人はヴェネツィアに行くのがいい。それが叶わぬのならこの本をゆっくり読むのがいい。」と池澤夏樹氏が推薦の言葉を書いているが、その頃、心が疲れていたのだろう、と思う。
 しかし、ここで言うように「ゆっくり読む」ということをせずに、慌ててストーリーを読もうとしたのだろう。それで訳が分からなくなって放置されていたのだ。書き出しに一人の女性を待つ場面が出ているので、当然恋愛小説だろうと思ったらそうではなく、著者がヴェネツィアについて書いた散文だった。著者とはロシア出身の詩人ヨシフ・ブロツキーだ。
 最初に書かれている女性について言えば、恋愛小説ではないものの、著者にとって重要な意味を持つ存在だった。そうでなければ書き出しに書いたりしないだろう。
 ロシアの詩人ヨシフ・ブロツキーは「有益な仕事に就こうとしない徒食者」として逮捕され、強制労働所に追いやられる経験をもつ。その後アメリカに亡命し、そこから17年にわたってヴェネツィアを訪れる。この水の都にすっかりはまったということなのだ。その実、この場所に心を奪われたかどうか書いてないが、美しい女性がいたせいであろう。
 この本は、散文であるがゆえにストーリーが無い上に、訳の分からないカタカナが随所に出てくることから、放置されていたのだ。しかし、今になって読んだのは、まとまった時間の存在と、ブロツキー氏の言う「読む力」が多少できたせいかもしれない。文章の中に書かれているように、スーザン・ソンタグとも知り合いであったことが、両者に対して親近感を覚えることにもなった。
 散文なので、どう評していいか。「水・迷宮・鏡」と題した解説は見事に評している。自分としては、思わず付箋を貼ったキーワードをここに書いておこう。
・人間の生を支配しているのは人間だけではなくて、ぼくらの考えをこえるもの、人以外の力が介在する・・・。
・時こそが神ではないかという考えに、ぼくは常に執着していた。
・思うに、平面というのは、常に埃を待ち望んでいる。それは埃が「時の肉」だからである。
スーザン・ソンタグから電話がかかってきた。
・もしこの町(ヴェネツィア)で人口調査をしたならば、天使の数のほうが、住民の数をはるかに上廻ることになるだろう・・・。
・美は目が休息する場所だからだ。・・・その目よりさらに自立しているのが涙である。
・人の愛もまた、その人そのものよりはもっと偉大だからだ。
 今より更に時間の余裕があるような時が来れば、その時こそゆっくり読んでみたい。