天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「ホームレス留学生」張国海著

 海外から日本に来ている学生には、就学生と留学生という二つの立場がある。就学生とは、各種学校の生徒として働きながら滞在する学生たちで、留学生は正式に大学に入学している学生たち。今や日本に留学生、就学生を最も多く送り出しているのは中国だ。
 彼らはまず、就学生としての2年間にアルバイトをしながら日本語学校に通い、大学受験をめざす。みごと合格すれば留学生としてやはりアルバイトを続けながら大学に通い、就職の機会を得る。中国での就職に比べて、日本で就職すれば地元に比べて高額な収入を得られる。日本に来ている中国人学生の大半は、それが狙いで来ている。日本企業に就職できなくても、中国に帰って日本語と留学の経歴を生かした仕事に就くことができる。
 日本での彼らのアルバイトは圧倒的に飲食店が多い。街の中華料理屋は中国人経営が多い。本場中国の味を提供する店は店員も中国人のアルバイト。別に中華料理でなくても食堂や居酒屋の働き手は中国人学生が多い。理由は、働く時間が主に夕方から夜なので、昼は学校に通うことができる。しかも仕事は食事つき。これをやっていれば食べていける。
 中国から日本に就学生として来るために、仲介業者に高額のお金を支払う。国費留学生は別格。仲介業者に払うお金は大方が借金だ。まずはアルバイトで稼いだお金はその返済にあてる。
 「ホームレス留学生」という手記を書いた張国海さんも、そんな就学生から日本での生活を始めた。日本に先に来ていた弟の部屋に転がり込んだが、一人用の部屋という理由で大家から追い出され、宿なし生活となる。公園に寝泊まりをしながら昼は日本語学校に通い、夜は借金返済のためのアルバイト。100万円の借金を返すまでは、ろくな食事もできなかった。100万円を返した日に、初めて“すき屋”で300円の外食をした。そんな生活から始めて、来日2年後には見事大学入試に合格。京都の龍谷大学だ。
 現在は、大学を卒業して日本の建材メーカーに勤務している。これまでの貧乏生活の中で、色々な人たちと出会っている。世話になったおばさんや、会社の会長。恋愛もあった。日本縦断の自転車旅行もしている。このことは、この手記の中には書かれていない。
 張さんの話は昔の話ではない。彼が日本に来たのは2002年。まだ10年も経っていない。私たちの周りにいる中国人の留学生、就学生の人たちも実は大変な苦労をしているのかもしれない。張さんだけが特別ではなく、沢山の苦学生がいるはずだ。ぼんやり大学に入って、就職口が無くて困っているというのとはわけが違う。みな、それなりの志や決意を持って日本に来ている人達だろうと思う。実のある支援が出来ないものか。