天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

今自然をどう見るか 高木仁三郎

「新たな地球像と人間の生き方を探る根源的エコロジズムの記念碑的名著」との評に魅せられて購入した本。増補新版とあるのに気付かず、オリジナル本(実に25年前のもの)を購入したのだった。
確かにこの本は大変素晴らしい本だ。が、庶民には難しすぎる。内容は驚くほど深い。深すぎなので、著者自身が真ん中あたりをまどろっこしければ飛ばして読むように書いている。天動説やら地動説の自然に対する意識などが分析されているのだ。そして相対性理論までも。
旧約聖書の時代から始って、西洋の思想家・科学者と言われた人々の自然観などが諄々と述べられている。そして日本の近年において、自然を守る戦いであった三里塚闘争水俣病のことにも及んでいる。話がマルクスに及んでは、もうエコロジーなどというエモーショナルな部分も含んだ話からは遠のき、理論的に自然と人間の関係を語る。
学者というのは理論をもてあそぶのか、と言いたくなるくらいに理屈っぽい。がしかしこの著者は確かに行動もしていた。過去形なのは、著者はもう鬼籍に入っている。それもあってこの本は、エコロジーの古典的名著といわれる所以のものなのだろう。
大変難解な部分もあるけれど、その主張にはほぼ全面的に納得できるわけであり、難しくとも読んでおかなくては、という気持ちにさせられる。だんだん書きぶりが学者みたいになってきた。もっと庶民でいたいのだが、影響されてしかるべき時は素直に影響されるほうがいいのだ。「それでいいのだー」というとても庶民的なフレーズが浮かぶ。
昔、小学校のころに第一次産業第二次産業、そして第三次産業などという言葉を習った。一次産業が農業で、二次産業が工業。そして第三次産業がサービス業として定義されていた。直接人間が自然を相手にした労働に従事するのは第一次産業ということになる。それが農林水産業。しかし、農業といえども機械化された農法で生産する以上、話は同じだ。手で土に触れず、大型トラクターで地面をかき回し、農薬を飛行機で散布して作物を作る。それくらい、人間の労働は自然との結びつきを失い、ある意味疎外されたものになってきている。漁業も、天気や潮の流れを読むよりも、レーダーで魚のいる場所を確認しては一網打尽にしてしまう。
この本の、いやこの著者の文章が内容において納得できるが、難しい印象を感じざるを得ない一例を挙げればこういう部分がある。
「私たち自身がみずから自然な生き物としての自然さに素直に従うことである。」
「自然がそのように『人間化』されることは決してありえない。」
 前後関係を書かなければ何がなんだか分からないが、この本の主張のポイントは何かといえば、自然を見る味方に大別して二通りある。一つは、自然を克服し、利用するものと見る近代主義であり、もう一つは、人は自然の一部であり自らを含めた自然をあるがまま受け入れようというものだ。エコロジズムとは後者のことであり、著者の主張も当然そこにある。
自然の循環を壊すような行為は当然慎まなくてはならない。地球環境の破壊、すなわち人類の生存に適さない状態にしてしまうことを早めるからだ。人間だけではなく、自然の一部として生存する全ての生物の循環を壊してはいけない。しかし、人は過去の歴史においてそのようなことをやってきた。例としてはアメリカ大陸において、白人が先住民族を征服する目的でバイソンの大量殺りくを行ったことを挙げている。バイソンと共生してした先住民族にとっては、バイソンの大量殺りく=先住民族の殺りくという図式なのだ。
 近代主義は人間の生活を便利にするが幸福にはしない。現代におけるその最たる問題が原発である。人類が処分できないゴミを出しながらエネルギーを生産している。人間のみを中心にした生態系は持続しない。
 著者は結びのところで、我々は従って運動することが大切と説く。かつての学生運動や労働運動のようなものではなく、地域に根差した活動のことを言っている。ちょうど団地の評議委員会で生活環境担当という役回りなので、これをまじめに実行することも一つの取り組みだろう。
 他に何かないかと思っていると、ちょうどこの10月11日から名古屋でCOP10が開催される。COP10とは第10回目のConference of the Partiesのこと。日本語でいえば生物多様性条約に締結加盟した国の代表が集まる会議ということになる。すでに事前の取り組みが色々始まっているらしい。なじみの深い名古屋での開催でもあり、この運動はぜひとも視察に行ってみたい。