中国 巨大国家の底流
中国に関する本は、色々読むようにしている。歴史関係はかなり理解できてきたつもりだ。しかし専門に研究している訳ではないので、迂闊なことは言えない。そして現代の状況は昨日のテレビ番組のように、日々刻々と情報が入って来る。新聞の紙面で、中国と言う言葉の無い日は無い。しかし、最近の状況は、歴史になっている訳ではないので、一体何がどうなっているのか、現象面だけで感想を述べるのは危険だ。
そこへ行くと、掲題の本は、最近の中国の傾向を、事実に基づいて書かれていて分かりやすい。興梠一郎というジャーナリストの本。「必読の最新報告」という帯のコピーに、読まなくちゃ、買わなくちゃといって買って読んだ。副題の「巨大国家の底流」の「低流」とは?
読んでみてその意図するところが分かった。当たり前。読まなくて分かれば読む必要なし。底流とは、低いところの流れを指し、低いところは見えにくいが、確かに流れているのだ。それは何か。結局民主化の流れなのだ。
明日私は中国に行く。4泊5日のことであるが、去年の10月以来だ。前回は、建国60周年を迎えた中国を見る、という目的だった。今回は、底流が感じられるかどうか、また新たなテーマを課して旅立つ。そう、常に中国旅行には名目があるのだ。特に今回は、日本語教師の方にお会いし、その授業風景を見せていただくと共に、学生たちとも交流ができそうだ。私にもできるかどうか、確認の意味もある。
行って、見て、また新たな課題ができそうだ。更にとりこになるか、帰りたくなくなるか、はたまたげっそりするか。行ってみなくては始まらない。そういう風に、好きなときに出かけられる今の環境も、実は悪くないのかもしれない。
中国の大学生たちは可愛いらしい。特に、今度訪ねる大学は、少数民族の学生たちが多いらしいので、田舎の出身で素朴な子供たちがいるんだろうな。