天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「月刊 日本語」の記事

 月刊日本語という月刊誌を購読している。3月号が今日届いたのでふと見ると、ナナナなんと!昨日お会いした、武漢日本語教師の方が載っていた。
 「今、シニア教師がアツイ」という特集で、その方を含めて、4人の方々の紹介記事が掲載されている。驚いたのは、昨日の方62歳というのが一番若く、他の3人はみな70歳台だったこと。うち二人はボランティア。ウーム、70台でも元気な間は活動できる喜びの一方、この職業はボランティアの活動になってしまう点がどうなんだろう、と思う。
 有益な活動というものは、当然それに対する報酬があってしかるべきだ。報酬の額は、外国へ行けばその国のレートというものがあるので、日本人感覚で見ればわずかな場合があるが、その国、地域での正当な評価であれば納得できる。
 高齢者でれあれば、年金があるので無報酬でも生活に困らない。それでボランティアで活動する。特にお金を沢山稼ごうという意図がなければ、個としてはそれでいいのだろうが、社会的に見た場合、日本語教師の活動レベルにもよるが労働に対する対価はあってしかるべきだと思う。
 年金生活者のボランティア活動というのは多い。大きく見れば、年金需給に対するアプリーシエションとして社会貢献する、おいうことなのか。しかし、何もしないで寝ていても年金はもらえる。
 私としては日本語教師の体験版として、ボランティアもいいかと考えていた。これはある意味無で責任かもしれない。仕事には報酬に対する責任というものがある。報酬が無いとなると責任も無い、ような感じで気楽になってしまう。教師がそれでは生徒も身が入らない。生徒もタダで日本語を習うと思うと、先生が気に入らなければやめてしまうはず。あまりいい関係ではないな。
 やはり、一定の活動の受益者はそれなりの対価を払い、提供する側は報酬を得るという関係があるほうが正常な気がするのだが、どうなんだろう。これは、よく研究すべきテーマかもしれない。