天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

まだいるGood Woman

 普通に、自然に努力して生きている女性。そしてその行動が人のためになる、ことさら困っている人の支えになるような人。それが”A Good Woman”。ルダシングワ真美さんもその一人。この名前は、ルワンダのもと難民の男性と結婚したので姓がカタカナになっている。
 ルワンダと言う国は、1962年にベルギー支配から独立した国である。1994年にフツ族ツチ族の民族間の争いによる大虐殺があり、多くの庶民が犠牲になった。その中で足を失うなど、体に障害の残る人たちが数多くいる状況になっている。民族間争いの原因は、ベルギー支配に起因するという説があるが、ここではそこは触れない。ルダシングワ真美さんは、そういう人たちに無償で義足を提供する活動を行っている。
 普通のOLから、思うところあってアフリカに行き、そこで見た現実に自ら取り組んでいる。といったところだ。自然の成り行きのように書かれている。書かれていたのは、月刊日本語の7月号。どうして日本語教師関係の冊子に載っているのかというと、この真美さんのプロジェクトが、日本語教師のボランティアを募集しているからだ。日本人の支援活動とのコミュニケーションの円滑化のために必要なのだろう。
 このルワンダに義足提供するプロジェクトは、ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトという。ブログをのぞくと、活動の一端がわかる。活動資金のため、使用済み切手や未使用テレフォンカードの送付も受け付けている。私も早速長年貯めてあった使用済み切手を封筒に入れた。
 いつも思うのだが、ボランティアによるこうした活動は貴重なもので、現地の人々にも喜ばれることは間違いないが、持続可能性という点ではどうなのだろう。ボランティアという言葉の語源的には、志のある人たちが自らの意思で活動するということである。日本語のボランティアという意味は、人の善意に訴えて、協力者の資金と時間を提供してもらうことにより成り立つ活動、あるいはそこに少し参加することという程度の意味だ。
 活動の意味合いが深刻であればあるほど、その恩恵を被る側の人たちの期待は大きい。従ってむやみに活動は停止できない。持続可能性が求められる所以だ。ルワンダの内戦による障害者の場合、現在は平和が維持されていることから、一過性のものと言えないことも無い。しかし、足を失った子供達は年々成長するし、義足も耐用年数があるであろうから、結局その人たちの生きている間の生涯を通した問題なのだ。そこのところの対応が、民間ボランティアの支援でしかされないということ自体が大きな問題であると思う。
 国際社会の組織的な活動による対応が望まれると同時に、民間の場合、良心に基づく経済活動により、活動する人も受益者も対等の関係で生活してゆけるようにならないだろうか。世界のあらゆるところで、この方式は必要であると思う。