天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「孤高」

 国語学者大野晋氏の伝記といえる本。日本語教師の一環として、日本語をもっと知るべきと思っていたところに、週間ブックレビューでこの本が紹介されたので、しからばというので買っておいた。小説を読もうという志のある人にも無視することのできない本だろう。大野氏は古代からの日本語について深く研究をされた人で、いくつかの辞書の編纂もされ、日本語に関する著作も多くある。江戸っ子であるその性格が災いしてか、敵も多かったようであるが、研究への妥協を許さぬ厳しさが強い態度をとらせた所以であり、手抜きの無い人だったのだ。
 彼は、「日本語を通して日本人とは何かを考えること」を一生の仕事としたとある。仕事の中身や、彼の主張の大切さもさることながら、何より感心したのは、88歳で鬼籍に入るまで現役の研究者であったことだ。60歳からタミル語の研究という、新たな仕事を始めた。80歳を過ぎても自分のしてきたことは、まだ始まりの段階であるとの謙虚さも持ち合わせていた。
 氏の生き様には大いに頭が下がるところである。加えて自分は日本語教師なるものをやろうという意思があるからには、日本語そのものの成り立ちを基礎知識として知るべきだろう。そもそも日本語教師になろうという目的は、中国をはじめ海外で、日本語を学習することで生活を成り立たせようという意思のある人々の手助けをしようということと、日本語を教えることは日本を理解してもらうことに他ならないと思っていた。日本語の成り立ちを知ることで、日本語を外国人に教えることの意義をもう一度考えてみたい。
 日本語教師の資格試験を受けるため、日本語の文法の学習などをしてきたが、単に法則や歴史、手順、理論などの暗記に留まり深さが足りなかった。深くない学習は応用が利かない。教える日本語そのものへの造詣を深める努力をしていなかった。
 本を読み、文章も書こうという気持ちがあれば、なおのこと、使う言葉自体をもっと知る努力をすべきだろう。そして、氏のような生き方に魅力を感じる。