天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

60年

 大晦日の恒例といえば紅白歌合戦。今年も夜ともなれば多くの家庭で、ご馳走やそばなど食べながらテレビの前でこの放送を見るであろう。抜群の視聴率。その紅白歌合戦が今年で60回目とのことだ。戦後に始まった番組。最初はラジオだったらしい。戦後の暗い時代を少しでも楽しく、明るくしようとの企画で始まったことなのだろう。
 60年といえば、今年は中国建国60周年だった。歌合戦と中華人民共和国の歴史を同列で見るな、と叱責されそうだが、60年というのは一つの区切りの年になりやすい。人生の60年も還暦ということで祝う。織田信長は「人間50年」と詠ったが、今や特殊な事情が無い限り大抵の人は60の還暦はむかえるであろう。
 大地震の発生も60年サイクルという説が言われていた。関東大震災から60年は経過し、関東地方に現在のところさほど大きな被害をもたらした地震が発生していないためか、この説は最近はあまり話題にならなくなっている。しかし、神戸、新潟などでは大きな地震が発生し、そこに居住していた人々の人生に影響をおよぼしている。
 地震の60年説というのは、「おおむね」というレベルのもので、狭い日本にあっては関東だけに注目すべき話でもない。東京直下型の可能性も他地域のユレのおかげで、サイクルが少しぶれているということなのかもしれない。ともあれ、地震だけは常に備えることが必要。
 更に、経済の波の60年説がある。詳しいことは記憶していないが、その説によると2005年に日本は浮上するとのことだったが、そうだっただろうか。2010年にならんとする今、とても浮上したとは思えない。私見では、景気とか経済とかいうものは、科学技術の進歩の速度が急速にはやまっていることから、人間の意識の変化のスピードも速く、必ずしもかつて60年かかった変化が、また同じ年数がかかるとは思えない。
 過去を振り返って、同じ過ちを犯さないとこは大変重要なことではあるが、先を見ることについては過去の例だけでは十分ではない。人間の社会生活に対する、産業革命の影響とIT革命の影響は、似た面もありながら、必ずしも同じではなく質的には大いに異なるものかもしれない。ここでは、えらそうなことは言わない。
 とにかく60年という年数は、色々な区切りとしたり、変化のサイクルとされやすい年ということだ。
 と、思い当たる事どもを書いてしまったが、自分的には明日の為に今何ができるかだけを考えて行動するという、精神的には単調な、淡々とした毎日であらかしと思う。方向さえ間違わなければそれで十分だろう。