天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

格差解消への考え方

 このブログのコメント欄を開くと、その下に関連サイトへのリンクが出る。その中で、格差の問題について触れた部分があった。読んでナルヘソと思ったので、どう思ったのか整理してみる。
 曰く、格差の解消には「我々の生活レベルを20年か30年前に戻すしかない」ということだった。ナルヘソ。戦後、車をはじめ色々便利なものが次々と売られ、生活は次第に便利になった。便利なものを買う購買力もついてきたということだ。高度経済成長があったので、そういうことになった。自由競争と市場原理のおかげで成長に加速がついたと思うのだが、その競争の結果、格差がついた。経済成長が緩慢になってくると、パイの奪い合いが激しくなり格差も広がったということではないか。
 格差というのは、結果として生活レベルの差として顕在化している。その生活レベル全体が下がれば、格差が縮小する。皆が低いところに近づくという理屈だ。ちがいない。しかしなんか寂しい。
 やはりブログのリンク先で斎藤一人さんの「一寸先は光」というフレーズに遭遇した。闇だか光だか分からない先のことは「光」と言った方が元気が出るだろう、ということらしい。気持ちの問題を言っておられる。どう思っても目の前のことは変わらないのだから、ポジティヴに考えておいたほうが幸せということだと思う。しかり。ちなみにこの人は高額所得者だけど、マスコミには出ない主義らしい。そう、メディアには利用されることがあることを知っていて、それが嫌いなのだろうと推察する。なので、自分で発表するブログなどは利用されているみたい。
 ともかく、みんなが生活レベルを下げるというより、お金が無くても幸せだった時代の生き方を思い出すことではないだろうか。それが20年前なのか、30年前なのかは分からない。人それぞれだろう。よく今の中国は30年前の日本のノスタルジーを感じるという言葉を聞く。確かにそういう面もあるが、それほど簡単なことではない。日本企業を買収する中国企業も出て来ている。平均すれば30年前ぐらいということかもしれないが、平均には何の意味も無い。
 思うに、格差の上のほうにある余剰を、どのように下の底上げに使う仕組みを作るかだな。