天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

毛沢東秘録

 産経新聞の取材班による毛沢東秘録という本を読んでいる。本の構成は、毛沢東が亡くなってすぐに四人組が逮捕される顛末から始まる。そこから文化大革命の中で、劉少奇が無念の死をとげるような、文革の異常さが述べられ、文革にいたる背景など遡っていく。
 この本を読んでいてつくづく思うのは、彼は農民的革命家であったのだろうということだ。農民的という意味は、農民を見方にして革命戦線に勝利をもたらした英雄であったということだ。そしてそれだけだったのではないだろうか。そこから先の、即ち戦いに勝利した後の政策面では、何一つ取り仕切る能力が無かった。近代化、工業化の推進が必要といってもそれをどのように進めたらいいのか、十分な見識がないまま思いと権力だけで進めたのだろう。そして人を信用すること、人に任せることができず、ひたすら権力にしがみついた結果が文革だったのだ。
 その毛沢東の肖像が今も天安門に掲げられている。いつ外されるのだろう。外されることはないのだろうか。アメリカのワシントンにリンカーンの像がある。これはおそらくアメリカが存続する限り、石像のワシントンはあそこに座り続けることと思う。しかし、毛沢東は違う。かつてのソ連スターリンの像が引き倒され、イラクフセインの像が引き倒されたが、どちらかというとそれに近い存在のように思える。
 しかしおそらく、彼の肖像は引き倒されたりはしない。静かに外されることはあっても、人民の社会に混乱と不幸をもたらした張本人として、切り刻まれることは無いように思われる。何故か?それは中国人はそのようなことをしないと思うのだ。井戸を掘った人を忘れない。即ち今の中国の繁栄のきっかけを作った人物であるという事実は皆が認める事実であり、その貢献を忘れない人たちだからだ。そのように思う。
 それにしても、文革はひどかった。それに先立つ大躍進や人民公社政策の失敗も、多くの餓死者を出した失敗だった。その失敗により権力の座を失うことを恐れ、権力維持の方策が文革だったのだからお粗末というほか無い。
 今更日本人の自分が、このようなことをここに書いても仕方のないことかも知れないが、中国の人たちが大変な目に会っているときに、そのようなことを全く知らされないで、同じ時代にのほほんと暮らしていて申し訳ない。そして今もその暗い影響を引きずって生きている人たちが大勢中国にはいるのだ。日中友好を考えるとき、そのようなことも承知をしてかの国の人たちとお付き合いし、共存してゆくことが必要なのではないだろうか。