天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

文革考

 毛沢東の死後、四人組が葬り去られ、その結果訒小平により改革開放路線となった。そして中国の今が有るわけだ。仮に、毛沢東の死の直後の権力闘争において、四人組が他のメンバーを抹殺していたら、中国は今頃どうなっていただろうか。
 現在手に入る情報では、四人組は非合法的に権力奪取を企てていたということだが、勝てば官軍。四人組が勝てば、歴史上に残る記録も四人組有利に書き換えられているに違いない。しかし、結果としてみれば、現在の中国の反映をもたらしたのは改革開放路線に他ならない。であるけれども、思うにそれが同時にいわゆる格差拡大に繋がったことにもなるであろう。沿岸部と農村部の格差。もっと言えば農村の犠牲の上に今の中国の繁栄があるような気がする。
 だからと言って、あのまま文化大革命が継続していたら、中国は更に混乱するばかりであっただろう。毛沢東が意図した文革は、本来あのような混乱と人々の不幸をもたらすものではなかったはずだ。毛沢東は、どこの国でもあるように、あるいは特に中国の過去の歴史が示すように、権力を握ったものたちの腐敗という問題、これを排除する手段として、純朴な青少年たちの感性を利用しようとしたのではなかったのか。
 それにしてはあまりに犠牲が大き過ぎた。腐敗どころか、中国の為に命を削って革命に参加している人たちをも、指導的立場にあるという理由だけで、その功績や志しにかかわらず、批判や誹謗中傷の対象にしてしまったのだ。そのような実態になってしまったことに毛沢東自身は気付いていただろうか。ひょっとすると、毛自信が最高の権力を握ったことにより、そういうことが見えなくなったのか。あるいは取り巻きの四人組が、文革を自分たちの権力闘争の道具として使うために、毛には正しく状況が伝わらないようにしていたのではないだろうか。毛は耄碌していたのだろうか。革命戦線の最前線にいた若い頃の毛に比べると、晩年の毛はすっかり太って温和な顔になってしまった。
 文革の成り行きというものを、私はかように思うわけで、格差が拡大した中国における弱者の側の農民にとても心が痛む。
 今中国は、経済成長維持の為に、内需拡大政策を打ち出し、色々な政策を実施している。内陸部の所得の低い層が、家電製品を購入するときの補助金などは、その政策の代表的なものだ。しかし補助制度があっても、補助を受ける元になる商品購入すらできない層が多いらしい。そういう状況でありながら、少し現金収入の道をつかんだ人々に対して、銀行はお金を貸し付けて購買意欲を駆り立てる。ローン返済が出来なくなって、広い中国のどこかに雲隠れしてしまうケースや、気が小さいと自殺に追い込まれたりするケースもあるらしい。いい循環ではない。
 そのような、歪みの中で苦労する人民の存在を作り出してでも、中国全体の経済成長は着々と進んで行くのだろう。中国の政治も難しい。ここでもやはり、一人ひとりの意識の改革は必要だ。
 中国といえば、商売の相手にすれば金払いが悪い。値段は駆け引きをしなくては決まらず、うかうかしていると騙される、といった風潮が当たり前のようになっている。しかしそのようなことも含めて、庶民文化としてみれば、なんだかとても逞しい人たちのようにも見える。
 最近の若者や子供たちは、文革を知らないで育った人たちばかり。それでもなお、親兄弟を大事にする。これを儒教的精神、と一口に片付けてしまっていいのだろうか。いずれ我々日本人が忘れてしまったように、彼らもこの心を忘れ去って行くと見るのが正しいのだろうか。このことも大変難しい。