天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

社会的共通資本−幸福の条件

 最近、漠然とではあるが、人間の生きがいというのは、ひたすらお金を稼いで贅沢をすることではないのではないか、もっと心から楽しめるものがあるはずで、そのことを皆が認識しなくてはいけないのではないか、というようなことを感じていたら、それを理論的に説く人がいたので嬉しい。
 宇沢弘文氏と内橋克人氏の対談という形で書かれた「始まっている未来 新しい経済学は可能か」というタイトルの本。タイトルに魅せられて購入した本だが、期待通り、いや期待以上と言ってもいい。もうすぐ読み終わるが、当然その後このお二人の本を買って更に自らの頭を整理し、生き方の参考にしよう。
 宇沢氏は、自然環境や農業、医療、教育などを社会的共通資本と呼び、これらを新自由主義経済の原理で金儲けの種にしてはいけないと主張される。皆で大切にしてゆかねばならないこれらのものを、競争原理の下にさらすと社会にひずみが出る。即ち不幸な人を作り出してしまうということだ。逆にこれらの維持に貢献することを、いや貢献できることで喜びと感じる人もいるらしい。奇特な人だ。奇特と思ってしまうこともおかしいのかもしれない。
 宇沢氏は「社会的共通資本」というタイトルの本も出しておられる。これは読んでみることにするのだが、今読んでいる本で宇沢氏の主張を知らなければ、こちらのタイトルを本屋で見かけてもまず手にすることはないだろう。堅すぎる。せっかくの内容なのだから、広く一般人が、私の好きな言葉で「庶民」が、なんだろう読んでみようかと思うようなタイトルが必要だし、読みやすくて、それでいて啓蒙されるような本が必要だ。
 本の中に、ため池の重要性がたびたび書かれていた。ため池は先祖代々守られてきた、日本の農業には大切な社会的共通資本であるという。ため池で思い出したのが稲葉真弓氏の「海松」という小説。ここには、都会生活に疲れ気味の女性が、購入した別荘の付近にため池の跡を見つけ、ひとりで黙々とその池の復元をするということが書かれている。ため池の重要性というよりも、人間らしい生活に必要だったものへのノスタルジーを感じさせる。ノスタルジーから更に主張につなげて、小説的手法で啓蒙するのもいいのではないか、と感じた。そんな文章を書いてみたい。