天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

政治経済の問題

 政治は難しい。とりわけ経済政策は難しい。
 戦後日本の経済は、高度経済成長期を通して、戦争の敗戦国であるにもかかわらず、アメリカにつぐ経済大国となった。その背景には日本人の勤勉さがある。勤勉に加えて、教育があったことも見過ごしてはならない。戦前の教育と、戦後の教育とでは方針がコロッと違うものの、勤勉を推奨している点では共通している。日本人はうまく教育されているのだ。
 戦前が「お国のため」に勤勉に学び、かつ働かなくてはならない、という教育であったのに対し、戦後は、真面目に働けば豊かになれるというものだった。戦争で何もかも失った庶民が、昼も夜も無く働いた。また、高学歴が有利な仕事に就けるというので、子供たちはガリベンをした。そのように方向付けされた庶民たちのおかげで、日本の経済は見事に回復し、成長した。そのシンボルが東京オリンピックであり、大阪での万博であった。
 その日本が、昨年のリーマンショックから立ち上がれないでいる。リーマンショックのことを1929年以来の世界恐慌とする学者もいる。仕事を失わず、普通に生活している人々は、現在の状況を大した問題と感じていないかもしれない。しかし、格差社会が進行している。格差の中では、弱者でなければその重大さに気づきもしない。他人ごとと思うのか。そして、一方では労働力不足だという。
 世の中には色々な種類の仕事がある。仕事を役割と見れば、それぞれの持ち場というものがあるわけだ。農家では農業をし、商売人は物を売る。工場では製品を作り、郵便やさんは手紙の配達をするというように、それぞれやることが違う。どの職業を選ぶかは個人の自由である。とはいえ、需要と供給という関係があるので、皆が皆自分の好む仕事に就けるわけではない。そこが難しい。好きなことをしたければ、それなりの努力と準備が必要だ。問題はそのような環境があること、とも言える。
 戦前は、職業は世襲制だった。世襲制というのは、封建時代からのもので、世襲制そのものが個人の自由を奪うものとして、今の民法では世襲が強制されることはなくなっている。家に縛られないのだ。
 現実には、家業を代々継いでいる商家などはいくらもある。農家もそうだ。私の父などは農家の次男坊であったために、代々の田畑を継ぐことができず、代わりに東京へ出て就学し、就職したのだった。今の「勤め人」という部類の人々は、大方同様の経緯で家業を継がずに就職をした人や、その子弟たちなのだ。その連中が仕事を選ぶ。選ばれなくなった仕事は人手不足となる。この解決策として、海外の労働力を使うようになっている。ただし、賃金が安いから使う、という図式だ。日本人が、賃金の安い仕事をしなくなったのだ。あるいは、日本人を安く使うことができないので外国人を使い、日本人の仕事が無くなるのか。
 海外の人は、日本人より賃金が安くても仕事をするのだ。日系企業が海外に生産拠点を設けることだけではなく、日本の工場に海外から労働者を受け入れて働かせる。その仕事の大半が日本人のやらないような仕事。自分の国にいては得られない仕事が、日本でできてお金を稼げることだけで良しとしている。日本人は何様なのだ。
 仕事を選ぶ日本人が悪いのか。能力格差が生活格差に繋がるのは、資本主義の国ではある程度仕方が無いことかもしれない。しかし、生活の格差が開きすぎ、その結果の貧困ということが問題なのだ。
 このような状態になっている日本。この問題を適切に解決してゆくのは難しい。ことここに至った原因を、過去の政治家のせいだと言うのはやさしい。しかし、本当に立て直すのは簡単なことではない。一面的な経済政策でかなうものでもない。行政、教育、金融など、多岐に亘る政策が必要だ。
 政策に加えて、何よりも必要なのは個人の意識ではないだろうか。欲望を追求することだけでは、幸福に繋がらないことに気づかなくては。そういう教育もしなくては。