天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

胡耀邦

 毛沢東から周恩来訒小平と中国の指導者が続いたが、そのあと現在の胡錦濤になるまで、胡耀邦趙紫陽江沢民という人物が続いた。胡耀邦氏は、急激な自由化の流れを抑え切れなかったとして失脚したままで、中国共産党として名誉回復に至っていない。そもそも、1989年の天安門事件胡耀邦の追悼集会がきっかけで、更なる自由化を求める学生たちの集会へと繋がった。
 第1次の天安門事件が、周恩来の追悼集会であったことと、流れは似ている。政治的集会というよりも、偉大な人物、民衆が受け入れて期待していた人物が亡くなると、その功績を評価し、死を悼むことに中国の庶民は行動するのだ。勿論、その流れを堅持したいという思いもある。
 面白いことに、第1次の天安門事件の黒幕は訒小平だと見られており、第2次天安門事件を抑えたのも訒小平だった。この間に15年の歳月が流れている。最初の天安門事件の頃は、訒小平はばかばかしい文革に終わりを告げ、これから一層改革開放を進めるべきとの思いから、周恩来路線を強化し、確かなものにすべく追悼集会を奨励する動きをした、と見ても不思議は無い。そして1989年時点では、行き過ぎた(と判断したであろう)自由化路線の中で、訒小平自身を含めた古参の権力維持の為に、集会を押さえつける側にまわったのではなかろうか。
 何がよかったのかは、歴史が判断することかもしれないが、もう過去のことになってしまったことをとやかく言っても詮無い。特に個人の行動性癖については、死んだ人の批判をすること自体にはあまり意味が無い。毛沢東にしても訒小平にしても、権力の座に落ち着いてしまったあとの行動は、権力維持に向かった行動になりがちだったのではないだろうか。本人は自らの路線を堅持することが、中国にとっていいはずと信じていたのだろうが、権力の座にいること自体が裸の王様であり、ものが見えない、正しい状況判断ができなくなっているのだ。
 しかし、できるだけ事実関係をよく分析して、指導者についての正しい評価をしておくことは、今後の方向性を見誤らないためにはやっておくべきだろう。その点、胡耀邦氏については、公式に(中国共産党に)否定されているため、あまり文献がない。正しい評価を試みるべきだ。
 そして、現在の胡錦濤氏も権力の座について久しい。物が正しく見えているだろうか。見える努力を続けて欲しい。