天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

蒙古放浪の歌

 司馬さんの「街道を行く」モンゴル編を読んでいると、氏が若かりし頃蒙古放浪歌を口ずさんで、心を震わせ涙ぐんだことがあったということが書かれていた。そのことを懐かしんでいるのではなく、若くして無知なるが故にそのような歌に悦に入っていたことを、中国共産党式に言えば自己批判していらっしゃるようだった。
 私もこの本を読んで、戦前の日本の対蒙古政策(満州を含めて満蒙政策と呼ばれていた)がどういうことだったのか初めて意識をし、自らの学生時代にこの歌をサークルのコンパで放歌高吟していた無知を恥じる思いがした。
 草原の国モンゴルは人口こそ少ないようだが、人類にとっては大切な地域であり、貴重な文化を持った民族なのだ。ということに気づき始めたのは、「神なるオオカミ」(ジャン・ロン著)を読んだ時だった。この本の素敵さ、人間とオオカミの共存関係の面白さについては、ここに書いただろうか。振り返って、未出であれば、そのうち書いておくことにする。
 ともあれ、今日は「蒙古放浪の歌」などと言って、サークルの愛唱歌として皆で歌っていたことに自分でため息をついていた。その頃、同様に酒の席でよく歌われた唄に「支那の夜」などもあった。しかもこの替え歌など、よくも面白がって歌っていたものだと、下を向いてしまう感じ。
 知らないということは、無邪気であるとともに恐ろしい。戦争が終わってずいぶん経てから、なお学生服姿の若者がこの手の歌を好んで歌っている風景は、外国人から見れば日本はまだ懲りないそら恐ろしい国だと思われても仕方が無い。
 今日は久々に池袋中国街で、先輩、朋友と一緒に四川料理を楽しめた。東京にいながら中国を味わえるという、中国とのこのような関係を継続発展させたいものだと思う。思うにつけ、もっとよく知らなくてはと思い、もっと行って見なくてはということになる。ななんだ、それかよ。