天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

回想録「開平への旅」

 おまたせ回想録第2弾。(去年の5月の記録)
 広東省の南西に位置する開平に行ってみようと思ったのは、NHKのテレビ番組で、畑の真ん中に古い洋館立ての建物がニョキニョキと建っており、そこが世界遺産に指定されたということを知ったからだった。広東省は馴染みがあるし、謎めいた建物を見に行くのがとても面白そうに思えたのだ。
 しかし、日本にいては情報不足。インターネットで調べてみても、大した情報は得られない。そこで、まずは広州へ。駄目元でそこで情報収集をして、行ければ見っけ物だ。以前の仕事仲間などから得た情報は、開平へは鉄道が無く、高速バスで行くこと、バスの乗り場は広州駅のそばであることなどだった。
 さて、いざ行くとなると一人で行くのは心もとない。仕事の都合をつけて付き合ってくれる友人が約1名。ところが、その友人の表姐(ビャオジエ:女のいとこ)が旦那との仲がうまく行ってないとのことで、気分転換に一緒に開平に連れてゆきたいとのこと。旅は道連れ、費用は全部こちら持ちだが、無論OK。この表姐に同行いただいたことが実は大正解だったのだ。
 日帰りの予定だったので、早朝から行動する必要がある。ということで、前日はホテルに合宿して翌朝、通りへ出た。友人と表姐はなにやら相談をしてタクシーを止める。開平までいくらで行くか、という交渉をタクシーの運ちゃんとする。2台くらいと話していたがいい結果は得られなかったらしく、やはりバスで行くことになった。開平まで結構遠いので、日帰りでは十分な見物ができないのではないかと、心配性の私は一刻も早くバスターミナルまで行きたくてあせる。でも一人ではどうしようもないのだ。
 「先吃飯!」まずご飯を食べようと言う。それはそうだが、こちらは時間が気になる。日本なら、弁当買ってバスに乗り込んで食べようという提案も出来るのだが、中国では簡単にはいかない。弁当なども売ってない。そこで、結果はともかく今日の運命は彼らに任せようと覚悟を決めた。もう怖いものも、心配事も何も無い。
 朝ごはんは、ホテルのそばの飯屋。水餃子とかワンタンメンなどが安くて美味い!ここまで来てあせることは何も無い。失うものは無いのだから。開平そのものより、そこへ行くまでのこうした時間をも楽しもうと思えば、すべて楽しい。
 さて、腹ごしらえが終わってやっとタクシーに乗り込んでバスターミナルへ。8時40分発のバスに乗った。前の席で友人と表姐が話しをしている。2時間ほどで着くらしい。バスの中には少し前の日本の歌謡曲の中国語版を含め、ゆったりとした音楽が流れている。高速道路は2車線。外は天気が曇りなので、それほど暑くはない様子。着いてから、うまく古い建物のあるところまで行けるだろうか。
 バスは高速道路を降りた。目の前に「世界遺産」と書かれた大きな看板が見える。そうだ、間違いなく世界遺産のある開平に着いたのだ。バスはしばらく田舎町という雰囲気をかもし出した開平の街を走り、商店街から路地の奥に入ると、建物の裏側がかなり広いバスターミナルになっていた。そこにはバスから降りた客待ちのタクシーが何台も並んでいる。中国のどこにでも有る、埃をかぶった小型のタクシーだ。
 またタクシーとの交渉が始まる。ここで表姐の力が必要だった。ここ開平は広東省の田舎町。ほとんどの庶民は日常用語が広東語なのだ。私の友人は広州へ来て日が浅い、というほど最近ではないものの、表姐の方が広州暮らしのキャリアが長く、広東語で会話ができる。これにはホント助かった。
 タクシーの運転手は、開平の世界遺産のパンフレットを持っていた。何でも3箇所あって、そのどこへ行きたいのかという。我々はとにかく広州からの日帰りなので、一番近いところで一目見られれば十分。で、そのバスターミナルから最短距離のところまでの往復のタクシー代を交渉。
 話がついてタクシーが走り出す。近いと言っても5分や10分でつく場所ではない。途中に広がる田園風景の中に、世界遺産とされている古い建物(望楼)が見え隠れする。30分以上も乗っただろうか。立園(リュウエン)と書いた立派な新しい門の入り口に着いた。門の右側にはしっかりと入場券売場ができている。前は駐車場。しかし観光客らしき人々はほとんどいない。世界遺産登録とはいえ、この不便な場所まではまだそれほど観光客は来ないらしい。集金設備だけはしっかりできている。
 表姐は、ここで帰りの心配をする。こんなところでタクシーを乗り捨てたら帰りの車がない。もともと往復いくらという交渉をしてあるので、タクシーにはここで待つように言う。料金は無事戻ってから払うということだ。タクシーも承諾。ここはお金を払う方が圧倒的に強い国なのだ。
 中にはいると、どこに望楼があるのか、広いきれいな公園そのもの。来るべき北京オリンピックの飾りなどもある。まず、このあたりから友人と表姐はカメラでバシバシお互いを撮る。彼女たちにとっては、古い建物を見ることより日常を離れて公園に遊びに来たこと自体が楽しいらしい。少しでも珍しいものがあると、その前でポーズを取る。実に素朴な人たちで、一緒にいて楽しい。
 ともあれ順路に沿って歩いてゆくとあったあった。テレビや写真などで見た縦長の石造りの建物がポツポツと建っている。周囲はきれいに整っており、公園の中の施設のよう。建物の1階は土産物屋になっている。1フロアに、狭めの部屋が一つと奥に次の間のような部屋。間に木の手すりのついた階段がある。それを昇ってゆくと、同じ広さの部屋がまたひとつ。そこは、テーブルと椅子が置いてあって、食事をするダイニングルームだ、その上は書斎風の部屋。そして最上階は寝室となっている。枠つきカーテンつきの豪華なベット。その部屋に住んでいた人だろうか、年若い娘さんの肖像画が掛けられている。どの建物もだいたい似たような造りになっている。
 これらの建物は、この地方の人々が外国で成功して帰国し、故郷に錦を飾る意味で立派な背の高い建物を建てたらしい。華僑のはしりのような人たちだろうか。それにしても、狭い土地に望楼と呼ばれるように上に高い建物を作ったのは何故だろうか?そのあたりのことが書いてあるかどうかは分からないが、売店で中国語の解説書を買った。いずれゆっくりひも解くときが来るだろうことを期待して。
 いくつかの建物見て周り、公園の敷地の一番奥まで行くと、ここが観光地になる前からそこに住んでいただろうと思われる、地元のお百姓が野菜の直販と観光用の馬をやっていた。馬に乗って写真を写すといくら、その辺をぶらりと1周していくら、というやつだ。同行の二人は農村の出身のはずだが、馬には乗ったことが無いらしく、馬にまたがりポーズをとって写真をパチパチ。
 「初めて馬に乗った」と喜ぶ表姐を見て、彼女たちも楽しめていることで私も満足。馬のいる所の横に、ちょっとした食べ物を売る休憩所があった。設備はとても粗末なもので、公園設備を管理している会社とは直接関係の無い店のようだ。公園に土地を提供した代わりに商売をさせてもらっているのだろう。その店に、おおきな鍋に黒いどろどろしたものが火にかかっていた。表姐はそれを食べると言う。それが何だか分からないまま、私も彼女たちと一緒に注文して食してみる。温かく、ほんのり甘くてゴマの香りがする。「麻糊」というものを初めて食べた。体にいいらしい。
 さて帰り。門を出てみると待たせたはずのタクシーがいない。門の脇の土産物屋が、車を出すので乗ってゆけと言っている。表姐は、タクシーを待たせていたのにいなくなった、と土産物屋夫婦に話しているらしい。友人も加わり4人でなにやら議論をしている。次のような会話が想像される。
土産物屋「タクシーより安くするから乗ってゆけ。」
表姐「そういうわけには行かない。タクシーには片道分も払っていない。支払いをしなくては。」
土産物屋「約束を破っていなくなったのだから、いいではないか。」
表姐「何か事情ができたのかもしれない。」
土産物屋「では、タクシーが戻ったら片道分を払うから預かっておこう。」
表姐「それでもいいが、料金はタクシーと約束した金額しか払えない。」
土産物屋「分かった、それでいい。」
結論はこのとおりとなったのだが、それにしても随分長い間議論をしていた。その間私は暇で、のんきに4人の様子を写真に撮ったりしていた。
 土産物屋の車はボロの軽バンで、ボロタクより更に乗り心地が悪い。が、そういう不満を言っている場合ではない。余分なお金を払わずに帰りの足を確保してくれた表姐に感謝!
 バスターミナルに着くと、表姐はくれぐれもお金をタクシーに渡すよう話して車を降りた。広州行きのバスの発車まで時間がある。ターミナルの売店で表姐はパックに入った食べ物を3人分買う。私は、それが何なのか、またさっぱり分からないまま食す。冷たくて、ほんのり甘いお粥のようだった。見かけより美味しい。日本人同士の旅では絶対口にできないものを食することができた。
 さて時間が来てバスに乗りこむと、表姐は外をキョロキョロ見回して、突然何か言いながら出て行った。戻ったところで聞いてみると、例のタクシーがターミナルに来ていたのを見つけたのだ。実に目がいい。それで、運ちゃんに事情を話して約束した半額を土産物屋からもらうように言ってきたらしい。なんと律儀な人たちなのだろう。
 帰りのバスの中、私は開平を見ることができたという満足感もさりながら、中国の人々の愛すべき一面をここでも見ることができたことに、とても心が温まる思いをしていた。
 広州に着き、私の好きな四川料理屋でお礼の食事をしてお開きとなった。