天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

米のこと

 司馬遼太郎氏の随筆に「米のこと」と題した一文がある。数十年前のことで、日本の農家が政府に対して「米の買い上げ価格を引き上げろ」という運動をしていた頃に書かれた文章のようだ。
 需要と供給の原則を離れた制度の中での騒動だった。そこで、司馬氏はその有り様を不満に感じて、米食わないストライキを個人的にやってみたが、4日目に断念。さように、日本人は米なしでは生きられないと感じていらっしゃる。
 その文の中で、ずっと昔の倭寇が朝鮮や中国を荒らしに行きながら、定住できなかったのは日本の米食を食いに戻ったのだとされている。そうだったのかも知れない。そのようなことを研究した歴史学者がいらっしゃるのかもしれない。
 しかし、先日TVで「米食う人々」と題するシリーズをやっていた。その始めは中国だった。雲南省だったと思うが、千年来守られている段々畑が「みごと」と言うしかないほどの規模で映し出されていた。そして、米のルーツである米の原種が今も広東省のある地域で自生しており、それが保護されているという。即ち、米も中国から来ているのだ。
 その後、米は食用に改良に改良を重ねて今のようなものになった。「今のよう」と言っても、日本のコシヒカリに代表される日本のおいしい米と、インディカ米というのですかまた一味違うお米が作られるようになっている。その日本のコシヒカリが中国で輸入される時代になった。
 日本では、米そのものの味が追求されておいしい米が出来た。私は実は中国で、中国の人との食事を重ねるうちに、米のおいしさを再発見したようだ。お米そのものは、とてもコシヒカリではない。日本で買えば、昔は外米などと呼ばれていた類なのだろうが、食べ方はこうだ。
 まず、食べたい菜(おかず)を注文する。ビールなど食前酒を飲むならそれと菜を食べる。そして、米飯(ミーファン)を注文して、菜を食べ続ける。中国料理の菜はめいめいには配膳されず、大皿で出るので、米の碗の中にいったん取り込んで米と一緒に食べる。四川料理など辛い味が多い場合は、この米飯は必須だ。菜の味付けが染みたごはんはうまい!菜の味の濃さをごはんの量で自分向きに調節しながら食べる。
 ごはんに混ぜると言えば、日本に、ネコメシと呼ばれたものがある。残りご飯に冷えた味噌汁をかけただけのものだが、これがいいという人がいた。冷えているので、ネコジタのネコも食べるし、人間も美味しく食べられるというものだ。今では、これを食する人はほとんどいないと思うし、私は菜とごはんは適度に暖かいほうがいいと思う。ちなみに、中国では暖かいものしか口に入れないという風習があると聞いている。ビールも冷やさないで飲む。漢方では、冷たいものを体に入れてはいけないらしい。
 話がそれそれになったが、中国人も日本人も米を食う仲間であることは間違いない。中国では、米は菜の味と楽しむ。日本では米自体の味を追求して、中国人も食べたい米を作り出した。
 これも文化の違いの一つであり、違いを尊重し評価することが大事なのでは、と思う次第でありんす。