天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

葫蘆島大遣返

 「葫蘆島大遣返」という映画を見ました。葫蘆島という場所をご存じでしょうか?

年明けに、日中友好協会で、王希寄「一九四六」東京展というのをやるので、それを見に行く前提知識として見るような映画。

 葫蘆島というのは、敗戦後に満州から一般庶民が日本に帰るときに集結地点となった場所。島という字があるが、島ではなく港湾。映画は、シナリオライター国弘威雄という人の制作・脚本・演出ということだが、葫蘆島は今では軍港になっているため撮影は中国側で撮ったものを提供されている由。

 王希寄展は、葫蘆島に集められた日本人の様子を画に書いたもの。中国人の若手の画家が当時の写真を見て絵にすることをした。縦3メートル、横20メートルほどもある大きなもの。

 さて、映画の内容は、子供の頃に満州から葫蘆島経由で帰国した人たちが、葫蘆島まで来て命尽き果てて帰れなかった人たちに花を手向けに行く旅のドキュメント仕立て。

 敗戦となったとき、満州では広東軍や満鉄その家族などがいち早く列車で逃げ出し、一般の人たちは敗戦という事実も知らされず、ソ連の侵攻が開始された。一般の人々は葫蘆島に行けば、そこから日本に変えれるという話を頼りに、徒歩や屋根のない貨物列車の石炭の上などに乗り込み、葫蘆島を目指した。

 葫蘆島についた人々の格好は、まともな服を着ている人は無く、農作物を入れる袋に穴をあけて体にまとうなど、みなやせ衰えて葫蘆島についても病気で死んでゆく人たちがいた。そういう人達の当時の写真を見た王希寄氏は、こうした事実をのちの世に伝えるために、写真を頼りに大きな絵を描いた。葫蘆島経由で帰国した人の数は105万人に及ぶそうだが、その一人一人を画に残そうという気持ちで描いたと言われている。

 敗戦後50年の節目で訪問した訪問団を迎えた現地の人々は、日本軍が行った残虐事件を知りつつも、一般の人たちの罪ではないと、帰国する人たちを手助けした人だったり、日本人はとんでもない奴らだと怒るオヤジもいたり。

 最後は当地の市長や共産党の幹部のような人たちが、二度と悲惨な戦争を起こさないためには庶民がお互いに仲良く交流してゆくことだ、などという言葉を残していた。まさに日中友好運動の原点みたいな映画だった。