天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

終活のようなこと

 また長野に行きました。狙った古民家が人手に渡ったので、壊れかけた蔵を直す方針にした。まずは屋根の壊れた部分にシートを掛けに行った。従兄も一人ではやる気がしないので、一緒にやろうということで。

 朝から出ても着くのは昼過ぎになる。上信越道は紅葉がきれいだった。着くと従兄は既にはしごをかけて、大きなシートを用意していた。

 用意していたシートは、以前牛小屋の屋根にかけてあったそうだが、大きすぎた。

 大は小を兼ねると思ったが、少し小さい奴で壊れたひさしの部分を屋根から補った。

屋根の上に登る覚悟をしていたが、結構急こう配で、屋根のトタンが埃と錆で滑りやすい。結局従兄が上に登った。足にはゴム底の地下足袋をはいていた。そうか、その手があったか。スニーカーじゃ心もとない。ヘルメットは用意してカッコつけたが高いところには地下足袋必要だな。

 やっとのことでシートをかけ終わってから、蔵の二階のものを点検した。桐のタンスが4さお。そのほかに大きな長持ちがいくつも。農具まであった。

 箪笥の中はほとんど空だった。和服がぎっしり詰まっているかと思いきや、そういうものはとうに処分したのか、形見分けしたのか。人形や掛け軸はいくつもあり、今回確認してないが古い鎧もあるそう。

 こうなると、桐タンスは家具屋などの引き取り手をみつけて処分するとして、他の不要なものはゴミにするしかない。歴史的価値が少しでもありそうなものはきれいにして残して、ここに展示して「かくれ歴史館」にしようかと。そのくらいのスペースはとれそう。

 まあ一種の遊びをやってるようなことだが、ここの母屋には従兄夫婦が暮らしている。奥さんが認知症で介護の必要な状態になっている。この日はデイサービスに行っていて、午後4時半を過ぎると車で送ってもらって帰ってきた。デイサービスの施設が楽しかった様子で、帰って来たのがちょっと残念な雰囲気だった。「こんにちわ!」とあいさつを交わすことはするが、わしが誰だかはもう分かっていない。この人の苦労は知っている。

 車いすのまま降ろしてもらって、入り口からベッドまで付き添いの人が二人がかりで運んでくれる。

 こういう状態では介護保険のサービスが無いと、とても老々介護ではやっていけないだろう。年金からら差し引かれる介護保険料が高いなあと思っていたが、こういうサービスに使われているのなら納得して払う気になる。ときどき私が蔵をいじりに遊びに来るのも従兄の気分転換にはなるだろうと思うので、他に空いた古民家を探すのはもうやめて時間をかけてもここに来ようかと思う。

 

 長野から帰ると、欠礼状が届いていた。今のところ全部で3通。年賀状のやりとりを辞めたという人が増えてきているので、こういう挨拶状も少なくなったか。たいていは親の誰かが他界して云々というので、その年まで自分は生きるかな、くらいに思う程度だが、中には本人だったりご子息だったりする。そういうのは驚くが、長く病と闘っていたお子さんを持つ方だったりすると、心が痛む。この先は本人が元気で生きることを楽しんでほしいと思う。

 さて年内にあと1回長野に行って、壊れた屋根の下の壁側にシートを貼りに行く。そうして一冬越したら、壁の修復をしながら水回りの業者さんに入ってもらおうと思う。

その前に周囲と中の掃除が必要だな。