天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

消費生活

 夏の三連休が終わって、元の夏の会社生活に戻る。あとウン年でこれも終わり。周りにはもう終わった人達が増えてきた。団地で理事やボランティア的にコミュニティ活動をしている人達の大半がリタイア組だ。
 元の会社でリタイアした人達は、皆健康そうな生活を送っている。老後の備えが十分な人達は、健康に気遣いながら毎日を過ごす。無理してわずかなお金を稼ぐための仕事はしない。適切な仕事があれば、まだ働く気持ちはあっても、健康を損ねるような働き方は敬遠するだろう。一度毎日が日曜日という生活に慣れてしまって、それで生活が成り立つことが分かると、そこから活動再開するにはよほどの気力か動機が必要だろう。
 生産側から消費する生活にポジションを変える。iireiさんが「消費者」というのはおまりいい言葉ではない、とコメントされたが確かによくは無い。良くは無いが、消費のみする人=消費者、とすればまさに高齢者がそれであるとも言える。
 いい言葉ではないという背景は、そもそも消費が増えることが経済の活性化につながる、ということはある意味事実であるが、それをいいことに消費を煽るものがある。それがコマーシャリズムであり、最近のメディアは皆その片棒を担いでいる。そういう消費を煽られながら消費を続けている存在が消費者と呼ばれている。
 現代の消費は、浪費に近いものがある。そうではないだろうか。読み始めた「さよなら、消費社会」という本は、そこのところをついているようだ。
 浪費している余裕があれば、世界の恵まれない子供たちに・・・、とこれまたメディアの仕事のようでどうも。集まったお金の大半は、組織の運営費に充てられ、地元有力者の懐に入る仕組み。本当に有り余る時間とお金をそういうことに役立てたかったら、直接行動するしかない。一人でも、あるいは同志を募って。
 さて、かく言う自分はウン年後にどういうポジションにいるのか。