天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

中国映画「白毛女」

 今日は、日中友好協会八王子支部主催の映画「白毛女」を見に行った。この映画は1950年制作。即ち新中国建設の翌年のこと。映画の時代背景は1935年くらいの農村で、もともとは1942年にオペラ「白毛女」として全国に普及していたもの。地主の横暴に苦しむ小作人を、共産党赤軍が開放するというのがテーマ。
 貧乏な農民の娘、喜児(シーアル)は同じ農民の若者と親同士も認めた結婚をするはずであった。ところが地主に見染められ、借金のカタにと連れて行かれ、慰み者になる。彼女は気丈な女性で、周囲の協力も得て地主の家を抜け出し、いいなずけと二人で解放区に逃げる算段をしたが、逃げられたのは男の方だけだった。残された彼女は、地主が正式に結婚するときに、地主の子供を身ごもった彼女が邪魔になり、売り飛ばされようとする時に山へ逃げ出した。
 逃げた彼女は山の中で木の実や、お寺のお供え物を盗み食いしながら3年の歳月を暮らす。
 一方解放区に逃げた男の方は、共産党の軍隊である八路軍の幹部となって村に戻って来る。そこで山の中に喜児を見つけた。その時彼女の髪は伸び放題で真っ白になっていた。身ごもっていた赤ン坊は、逃げるときの無理がたたって流産していた。
 開放された村は、農民が地主を裁く。共産党礼賛の映画であり、その後京劇やバレー歌劇として普及した。もともとオペラの作品として作られたことで、映画の中でも主人公たちがうたい上げる場面がいくつかあった。
 さてこの映画を、今の我々はどう見るべきか。
 農民のかわいそうな娘に涙し、ハッピーエンドにホットしながら共産党は素晴らしい、と感じれば当時の映画製作者側即ち中国共産楼の狙い通りの効果だ。今日集まった高齢者おばちゃん軍団の中には素朴にそう感じた人もいたはずだ。当時はそれでよかったろうが、今ではもう一歩踏み込んでみれば、そういう理不尽な時代は終わってよかった、と本当に言えるだろうか。程度の違いがあるが同じような事が起きてはいないか。農民、庶民の不満を抑えつけていることはないか。
 中国だけの話ではないのではないか。世界の至る所に、同様のことがまだまだ形を変えて残っていないか。日本はどうか。