天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

ペシャワール会講演会

 商社9条の会というのが主催するペシャワール会中村哲先生の講演会に行った。行きなれた池袋だったので、つい油断して歩いたが見つからず、交番で聞いてたどりついた。 800名収容の会場は満席であふれていた。
 講演の前にDVDで先生の最近の活動が紹介された。演題は「アフガンに命の水を」というので、2003年から2010年にかけて、用水路を造った経緯についてのお話だった。先生はもともと、1984年にキリスト教団体かららい病の治療に派遣されてアフガニスタンに行かれた。そこで、らい病は治療をすることで患者の数が落ち着いてきたが、元々辺境地域での医者不足という問題があった。そこで、パキスタンアフガニスタンの辺境を医療団を組んで歩かれたりした末、いくつかの診療所を作った。
 しかし、アフガニスタンに大干ばつが来た時に、体力のない多くの子供達が命をうしなった。患者の9割は、きれいな水と食料さえあれば病気にならなかった。そのことから、中村先生は井戸を掘り始めた。その数なんと1600。うち今でも1500は利用されているという。よく海外援助で井戸を掘る話があるが、近代的な機械でほると、その時は水が出て地域の人に喜ばれるが、メンテナンスに必要な技術と機材が無いと、いつの間にかその井戸は使い物にならなくなる。そういうケースが多いらしいが、中村先生は地元の人がメンテナンスできるよう、地元工法即ち人手によって井戸を掘った。地元の人たちに呼びかけ、自らも体を動かした。
 井戸は生活用水として利用されるようになったが、人々が難民の状態から自給できるようになるには農業用水が必要だ。そこで農業用水の灌漑工事を計画するに至った。この工事は、日本の江戸時代の治水工事の工法に学んだという。何故なら、やはりメンテナンス(持続性)のことを考えると、コンクリートの塊でなく、石を積み上げたものにしておくことが必要だった。蛇籠という針金の網の中に石を詰めた大きなブロックを重ねて護岸工事をする。その上に柳を植えて石の間に根が張るとこでより強固になる。
 25.5キロメートルの灌漑用水路を造ることで、3000ヘクタールの農地がよみがえり、15万人の人が難民状態からもどり自給できるようになった。なんと素晴らしい事業だろうか。この費用は日本のペシャワール会という先生の支援団体から出ている。この件はJAICAも費用をだしたらしい。
 先生は講演の間は、演壇を使わず舞台の前に降りて、自らパソコンを操作してスクリーンに写真を写しながらこちらを向いて話しかけるように話されていた。小柄でよく日に焼け、朴訥な感じのひとだが、話はウィット豊かに聞き手を引き付ける話し方をされた。隣のおばはんだけは、会場が暗くなるとすぐに眠っていたが。
 最後の質問では、憲法9条をどう思うかとか、国際貢献の拡大はどうしらいいと思うか、などと大仰なものがあったが、先生の活動の趣旨はお話の中で既にしっかりと述べられていた。「命を守るためにできることをする」というものだ。命の大切さに日本人もアフガン人も無い。皆平等に大切であり、同朋が苦境にあるときにできることで手を差し伸べる人間としての生き方をしべきだということだ。
 アフガニスタンの他にも、干ばつや内戦で大変な苦労を強いられている庶民がいる国々がある。そこには、その地域に縁があった人ができることをすべきだ。中村先生はたまたまアフガニスタンだったということだ。先生曰く、自分の仕事がやれ国際貢献だとかなんとか評価されるが、命を守る人としての活動は、日本の中でも自らの結婚や、就職を犠牲にしてまでも親の介護をする人の場合と同質のものだという。
 先生の活動に感動したからと言って、アフガニスタンに自分が行っても足手まといなだけで、自らの身の回りで、自分が何かすべきこと、できることをやるのだろう。しかし今の日本は、原発の問題にしても日常の社会生活の様子を見ていても今一つピンとこない。私の場合、中国も視野に入れてできることを・・・。
 先生は、今の日本人が失ってしまったしまった大切なものが、アフガニスタンの人々の中にあるのを見ておられる。だからこそ、戦火やテロの危険を顧みず、かの地で生きる人々の命を守るために、自分の命も省みない活動をされているだ。
 講演が終わると、感動した人々が公会堂の前にあふれていた。