天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

大地震 at 眼医者

 2011年3月11日14時46分頃に三陸沖で大きな地震が発生した。ちょうどそのころ私は、午後から休みを取って、お茶の水の眼医者さんに行っていた。地震の規模は大きく、報道によれば日本の観測史上最大の大きさで、M8.8震度7とのことだ。東北地方中心に現在も余震があったりその影響は大変大きい。6Mの高さの津波が発生し、行方不明者も多い。救出活動も続く中ではあるが、東京での自分の体験を記録しておこう。
 眼医者さんはとても大きな規模でやっている眼の専門病院だ。一般の外来診察はお茶の水駅前の高層ビルの19階にある。1時前に初診受付をして、問診のあと視力検査を受け、眼の瞳孔を開く薬を入れて再度見てもらうために待っているところに揺れが来た。
 大きな横揺れだ。これはビルが耐震構造であるため、地震の力を逃がすよう、揺れる設計になっているためとのことだった。それにしてもあまりの揺れに、これはやばいかもしれないと感じた。大きな窓の外を見ると、東京スカイツリーが見えたが、遠いのでそれが揺れているのかどうかまでは分からない。工事の人たちはあの建物にへばりついて、さぞ恐ろしい思いをしていることだろう。被害が出なければいいがと思った。
 揺れがおさまるまでは何もできない。管内放送で地震震源地は三陸沖。津波が予想されるとのこと。ビルのエレベータは使用できない。非常階段も安全確認が必要で封鎖され、降りるに降りれない。揺れがおさまると、診療が再開された。そこで私の順番が来た。若い女医先生の話を聞いているうちに、大きな余震が来た。先生と眼を覗く機械を抑えながら、じっと対峙しているほかない。看護婦さんたちも周りにきて座っている。あらわな格好でソファーにしがみついている看護婦さんもいる。ゆれがおさまるとまた診療がはじまる。非難することができず、そこに先生たちと患者たち、係りの人たちが皆いるので、せいせいと診察をし、次の予約をとり、と仕事をするほかにすることがない。
 という具合に予定通りの眼の診察を終え、帰宅希望者を職員の人が非常階段で誘導してくれたので、私も外に出た。外に出たのはいいが、電車は当然止まっている。足元をふと見ると歩道のタイルがずれている。

 以前から歩道がこのようになっているとは思えない。今の地震の影響だ。
 とりあえず、家に向かうしかない。何故か会社に戻ると言う発想が無かった。都心から家まではほぼフルマラソンの距離。徒歩での帰宅が不可能な距離ではない。到着は深夜になるだろうから、明日のゴルフは無理だな、などとのんきなことを考えていた。靴が硬い革靴なので、そうとう辛いかもしれない。

 途中九段会館の横を通ったときに、沢山の緊急車両が来ていて人だかりが多かった。後で知ったところによると、ここで卒業式が行われていたが、天井が一部落ちて2名の死者やけが人が出たということだった。

 新宿駅に到着。外は暗くなっており、寒い。駅構内は暖かいので沢山の人たちが集まっていた。私はここで待つよりも歩く方を選んだ。
 歩いている途中、どこかで自転車を調達すれば、歩くより楽に早く帰れるだろうと思った。昔、中国の田舎町では自転車すらめずらしく、どこに行くにも徒歩だった。昔昔の日本もそうではあった。自転車が高級な乗り物だった時代があり、それが普及して皆が自転車に乗るようになり、中国と言えば自転車というイメージを作った。それが今は自動車に代わるつつあるわけだ。
 新宿から甲州街道を歩きだした。沢山の人の流れができている。途中に自転車屋があったが、すでにもうそこには自転車を求める列ができていた。車は大渋滞の状態で、その脇を自転車がすり抜けて走る。結構危険も伴う。私は自転車をあきらめてまた歩き出した。
 結局、家よりははるかに近い芦花公園に済む息子のところまで行って、そこで電車の回復を待つことにした。とは言っても、息子夫婦も都心から戻る手段は徒歩だろう。携帯電話はつながらない。メールが時間をおいてどうにか繋がる。私が早くから歩きだしているので一番早く芦花公園までたどりついた。息子の指定する居酒屋で待機状態となる。

 焼酎のボトルを1本入れて待つ。そこで皆食事をしてから彼らのマンションで泊めてもらった。

 今朝になって、各駅停車だけ動き出した列車に乗って帰宅した。乗っている人は大半が駅などで一夜を明かしたひとだろう、皆疲れた表情で眠っていた。都心で帰れなかった人は9万人くらいいたらしい。帰ってみると我が部屋の地震被害は本が倒れた程度だった。
 今も東北地方では、孤立して救助を待っている人たちが沢山いるというのに、ウチは家族も皆無事で被害も無く幸いであった。そうでなければこのようにのんきにブログなど書いていられない。

 明日、楽しみにしていた中国語関連のイベントは中止の連絡が入った。