天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

3.11を忘れない

 10年前の今日が、東北大地震だった。あの日は金曜だったと思う。私は勤務先を午前中で切り上げて、午後からお茶の水の目医者さんに行っていた。そこへ地震が来た。

 ビルの22階だったので、揺れがひどかった。広い待合室の収納壁の扉が開いて中の書類が飛び出たりしていた。いったん落ち着いたときに診察の順番が来て、診察室に入る。先生と目玉を覗く機械でにらみ合っているときに揺り返しがきた。その精密機械が倒れないように両方から抑えていた。看護婦さんたちが怖がって集まってきた。

 一応診察が終わって、揺れが収まり、帰るときにエレベーターが止まっているので階段を歩いて降りた。そこから自宅までの交通手段が無かった。会社に残っていれば、非常食などもあり遠距離の人は事務所に泊まることも出来たらしいが、私は会社に戻るという発想はなく、ひたすら甲州街道を西に向かって歩いた。途中で自転車を調達することを考えたが、みな同じことを考えるので、もはや手ごろなママチャリは通りかかった自転車屋から払底していた。結局、当時芦花公園のアパートに住んでいた長男のところに転がりこんで泊まった。

 などとしているうちに東北では大変なことになっていた。特に福島。

 

 今朝の東京新聞は、一面と最終面をつなげた大きな紙面で現状を訴えている。

題して ふくしまの10年 今の思いは

 写真入りだが、箇条書きに被災者の方々の思いを転記

「何の節目でもないし、何も終わっていない。」

「家族に10年の節目などない」家族とは亡くなった家族のこと

「あの日の記憶が一番薄れてきているのは東電かもしれない」

「こないだの地震で一気に10年前に引き戻された。立ち直ってなかった。」

「次世代のことも考えて(判断を)『待つ』ことも必要。」

「道は遠い」等々

 

 先日9日に、笛のレッスンがあり東中野まで行ったので、ポレポレ座に行って見たら震災の映画をやっていた。

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 壁にはこんなポスターがあったが、この日の映画は小森はるか氏の短編2編だった。

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 2本で1時間という短さだったので、最初の方はいきなりで震災を振り返っていると言うこと以外よくわからなった。

 二本目は、場所は高田らしいが生き残った人の語る様子を映したドキュメンタリー風。

 忘れないためのこうした取り組みもあるのか、というのが感想。この2本は福島の原発がテーマではなかった。

 

 福島の人たちの思いは、上記の新聞紙上のメッセージに現れている。

 当面の課題は五輪中止を早く宣言することだろう。

 原発事故の放射線がコントロールされているという嘘をつき、賄賂を使って票を集めて招致したオリンピック。業者に儲けさせるためには何が何でも開催しようとしているように見える。

 新型コロナウイルスが何ほどの物かはさておき、これだけ世界を騒がせている感染力の強い疫病。台湾では素早い対応と情報公開により抑え込みに成功しているが、日本ではGoToキャンペーンなどという感染拡大の元となるキャンペーンをやってみたり、緊急事態宣言などと言っても、飲食店等に営業自粛を要請するだけ。首都圏は自粛期間を延長したが、今日あたりは都内感染者数は先週よりも増加している。

 こんな状況で、五輪開催などあり得ない。そもそも商業主義になってしまったオリンピックなど無くなってもよい。スポーツ選手は利用されているだけ。そういうことを理由に出場辞退する選手がいるといいなあと思う。海外にはいそうだ。日本は、昔から体育会系といえば、理屈抜きで先輩や指導者の言うことは聞くものという軍隊調の風潮があった。今でもそうなのか。

 晴れの舞台でいい結果を出したいという気持ちは純粋だろうが、晴れの舞台ってなんだろう。五輪でいい成績を取れば賞金も出る。その後の待遇もよくなる。マスコミはじめ周りがちやほやする。日本の社会がそういう選手を育ててしまってはいないか。

 企業の金儲けのためにする五輪が晴れの舞台か。さっさと辞めてしまえ、と思っている人は沢山いるはず。それをきっぱり言う著名人は久米宏くらいか。

 橋本聖子も、五輪よりもコロナ対策を遂行するために五輪は見合わせたい、くらいのことを言えば「セクハラ大臣」の汚名を少しは挽回できるだろうに。期待はうすいな。

  

 日本の没落についての本を読み始めたが、それは人口構造により当然そうなるという経済面での筋書きだが、現在日本で起きていることは政治の貧困による没落ということが大きい。昔のように、ヘルメットかぶってゲバ棒を持たなくても、ネットで多くの声が上がれば情勢を変えることができるようになってきた。

 この流れを続けていくように微力ながら参加したい。