天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

本から思うこと

 本のことなどなどをホンノ少し書く。
 昨日書いた本の著者は、お坊さんだ。坊さん作家は他にもいる。「ボクは坊さん」というタイトルで本を書いた白川密成という人も以前ブックレビューで紹介されたし、「怒らないこと」がヒットしているアルボムレ スマナサーラ氏もパキスタンから来た偉い坊さんだ。
 そもそも仏教家は、人の生き方に係わることを常々考え、人に説教するのが仕事だ。話すことを色々考えているうちに、書きとめておこうということになるのではないだろうか。そしてそのような時間にもも恵まれているということも、本を書くようになる一つの理由だろう。
 そして、玄侑さんのように元々お寺さんに生まれた人で、だからと言ってそのまま坊さんになるというのではなく、一度社会に出て一般人の生活を体験してから、やはり坊さんになろうと言う人も結構いるようだ。早い話、我が家のお寺さんは長野の戸隠方面の山奥の大昌寺というところだが、ここの和尚さんも若いころは商社勤めを経験している。ハキハキと物を言い、お寺経営を合理的に運営している、ように見える。実情は確かめたわけではないが、「禅林(ゼンリン)」というお寺の機関紙を発行している。そういうことで、檀家に対して情報発信しようという姿勢は評価している。
 ここに書く内容を自ら色々と推敲しながら書き綴り、凝ってゆくと本にしたいと思うようにもなるであろう。が、最近発行頻度が減っているような気がする。年に一度、この時期には「護持会費」として納入する振込用紙を同封してくる。ここでは最低年一回の発行が必要だろう。元商社マンでは文芸の方面には発展しないかもしれない。
 次に、最近共感したフレーズを引用する。私の大学の先輩であるフォトジャーナリストの栗原達男氏の本「失うことを恐れるな」という本の中の一説に次のようなものがあった。
 『妙な大国意識が蔓延したのはいつ頃からだろう。たぶん「経済大国」の言葉が登場してからと思う。ニホン、いやニッポンはシマグニなんかでない、タイコクなのだ!と。
 そう思い上がっているうちに、バブルははじけ、災害は続き、経済不況でとんでもない状況になった。
 こういう時こそ、この国の周縁、島国日本を形成している小さな島々まで見つめるべきなのだ。そうすればそこに大国意識で忘れてしまった大事な落しものがあることに気がつくだろう。』
 これは最近読んだ「日本辺境論」と相通じるものがある。世界の中で、即ち地球上での日本の位置をちゃんと踏まえなくてはならない、ということを言っている点が共通する。経済成長華やかしき頃の、過去の栄光を追っているばかりでは先が見えない。
 自らの立ち位置を知り、おごらず周囲の民族と共存してゆくための方策を考え、地道に実行してゆくしかない。大国のおごりは、勘違いも甚だしい。日本辺境論の方は、論理的にときあかしているが、ジャーナリストの書く文章は直感的にスパッと書いてある。