天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

「再び男たちへ」

 本棚の整理をしていて、前からあった本のひとつで塩野七生著の掲題の本を手にした。どうしてこの本があるのか定かな記憶が無いが、タイトルがカッコいいのでとりあえず買って、いつか読もうと思っていたのかもしれない。ともあれ、その「いつか」が来たのか、ちょっと開いてみたら不愉快になった。
 いきなり、戦争に「一つだけ利点がある」と書いてある。あるわけないだろう。どんなことがあっても戦争に利点がなどがあるわけがない。軍事産業が経済を活性化する、ということはあっても実際の戦争をすることとは違う。この本は短いエッセイ集のようなものなので、それで何が言いたいのかと一応この第一章だけ読んでみた。
 すると、世の中が平和だと、政治家は清廉潔白で、しかも結果の見える仕事をしないと評価されないのだ、というようなことが書いてある。女や金でしくじってはいけないということらしい。戦時なら、皆の発想が生きることに集中するので、政治家の身辺のことより結果だけが評価されるからいい、と言いたいらしい。
 なんてこった。そして、平和な国では女性問題もいけないということを書くときに、娼婦のことを「世界で最古の職業の女たち」と表現している。売春婦とか娼婦という言葉がある。これは今や気をつけなくてはいけない差別用語かどうか知らない。実情をズバリ表現しているだけで、差別ではないと思う。それよりも「最古の職業」などと、バカにしたような言い方のほうが不愉快。
 本当に最古の職業なのか。売春は職業なのか。職業かといえばそうかもしれない。広辞苑には「生計を立てるための仕事」という解説がある。しかし、生計を立てるために体を売らなくてはならない女の気持が同じ女にして分かっているのか。体を売る本人だけではない。チベットなど、中国の奥地の貧困な地域では、家族で必要なお金を得るために自分の女房が売春をするのを見過ごさざるを得ない男たちもいる。そういう現実があるのにもかかわらず、バカにした表現はいけない。
 今の日本で援助交際とか、生活のためではなく、お小遣い欲しさに中年男の相手をする少女達は論外。嘆かわしい。
 とにかくこの本はこれだけで不愉快と思ったら、サブタイトルに「フツウであることに満足できなくなった男のための63章」とあった。フツウのどこが悪いのか。目立とうとして悪いことをしてしまう事例はいくらでもある。普通であるかないかということを気にすること自体が馬鹿げている。自分の良心に従って生きることが大切で、その結果がフツウかどうかは他人が評価する問題だろう。
 自分で自分がフツウなのはいやだと思うような人間が沢山いるということ自体、それだけ世の中が平和すぎていかん、ということを言いたいのか。他に色々どんないいことを書いてあっても、こういう発想のものは読むのは時間の無駄だ。
 ちょっと過激な書評だけど、自分のスタンスを明確にするために書いてみた。