天天日記

中国好きのまっちゃんで、書いていたはてなダイアリーを引き継いでいます。

春の気配

 春の花といえば、桜。

これは去年の写真。少し早いけどサービス。
 花は桜。春のイメージは桜の舞い散る中を新たな人生をスタートさせる。入学式、入社式などが4月のはじめに行われ、若者の新しい生活が始まる。
 中年以上に桜の祝福は無縁なのか。そんなことはないでしょう。私事で恐縮ですが、(ン?)これは私の日記なので、どうどうと私事を書きますが、面接の要請が来ました。面接をするのでなく、される方。面接がうまく行くと私の新学期が始まる。春の気配だ。今回の場合、実際に始まるのは秋だが、春に準備がスタートする。何を求めて新しいスタートをしようとしているのか、いつも心に刻んでおかなくてはならない。
 全く初めての環境に飛び込むことになるので、自分が試されることになるのだろう。時間を無駄にしているヒマはなくなった。それは今さら始まったことではなく、元々時間は無駄にしてはいけなかった。「時は金なり」というが、金かや。金はそんなに大切か。わずかばかりのお金を稼ぐために、ウツウツとした状況で自分の時間と能力を切り売りしている。そんな生活から足を洗って、更にわずかな報酬しかない生活に飛び込む。求めているのはお金ではないから、それでいい。なのに、お金のことばかり書いている。
 お金はやはり大切なのだ。生活を成り立たせる媒体と言う意味で、大切であり価値がある。大切で価値があるということと、沢山あればいいのかということとは違う。お金の価値感覚は、通貨により違う。即ち地域によって違う。
 お金とマネーは区別して考えるものだ、ということを教わった。だれに教わったかというと、内橋克人さん。お金は生活を支えるものであり、マネーは扱い方や、量によっては人を不幸にする。金融危機だとか、通貨危機だとか言うのはマネーの世界の話。生活のためのお金を稼ごうと、一生懸命働き、成功するとマネーゲームを始めるようになる。マネーゲームは、ゲームなので皆が勝者にはなれない。必ず敗者が存在し、富の格差が生じるというわけだ。
 この辺のことは、またゆっくり考えるとして、当面は面接対策をしなくてはならない。最近受けた本格的面接は、実は今の仕事に移る時だった。明るく元気に。この点は、全く異なる形での面接となる今回も同じだろう。